“ユース教授”のサッカージャーナルBACK NUMBER
町田FW中島裕希「昨年を超える」。
恩返しはクラブの未来への貢献。
text by
安藤隆人Takahito Ando
photograph byTakahito Ando
posted2019/04/17 17:00
FC町田ゼルビアで4シーズン目を迎える中島裕希。チームに欠かせないベテランとしてJ1昇格へ奮闘する。
相馬直樹監督との縁。
トライアウトは独特の雰囲気だった。それぞれの前所属チームのジャージを着た選手たちが集まり、各自でアップをして、いきなりミニゲームと全体ゲームをこなす。即席チームで、一度も顔を合わせたことがない選手と試合をするため、連係面は当然バラバラ。自分をアピールすることは難しかった。
「点を取れなかったし、『あ、終わった』と思った」
だが、試合後にFC町田ゼルビアの相馬直樹監督が中島に声をかけてきた。
「相馬さんは『(オファーを)考えているよ』のひと言だけでした。それ以外は話していませんが、もう僕はオファーを待つしかできない状況だったので、連絡がくるのを待っていました」
その数日後、町田から正式なオファーが届いた。この時、他の2クラブからも話があったが、どちらもJ3のチーム。唯一、町田は翌シーズンからJ2に昇格するクラブだった。
「僕の中で40歳くらいまでは現役をやりたいという目標がある。まだまだ目標の手前でJ3にいくとなると、上にあがるのは難しい。だからJ2以上でやりたかった。それに相馬さんは鹿島時代に選手として一緒にプレーしているし、山形時代はヘッドコーチだった。そういう縁もあるし、何より自分を必要としてくれた。町田でもう一度輝きたいと思ったし、30を過ぎても成長できることを示したかった」
中島を刺激した町田サッカー。
町田に拾われた形で加入した中島は、その言葉通りブレイクの時を迎えた。そのきっかけとなったのが、相馬監督が積み上げてきた、町田の姿だった。
「正直、衝撃でした。『こんなにみんなが一生懸命、頑張るチームなんだ』と。練習から一切手を抜かないし、本当に頑張っている姿に刺激を受けた。これが相馬さんが長い間、町田に植え付けた、積み上げてきた姿勢なんだと思った。練習環境は鹿島、仙台、山形と比べると、決して良いとはいえない。練習ピッチも人工芝だし、管理棟のようなところで着替えていた。
でも、環境がすべてではないと思えたし、逆に『自分たちの力でこの環境を良くしたい』とも思えた。初心に戻ったというか、がむしゃらにサッカーに打ち込むことができた」
相馬監督のもと、ストライカーとしてリーグ42試合すべてに出場し、32歳にしてキャリアハイの14ゴールをマーク。翌'17年には11ゴール、さらにクラブ史上最高順位の4位と大躍進をした昨年は12ゴールをあげた。3シーズン連続の2桁ゴールで、今や押しも押されもせぬ“町田のエースストライカー”に成長を遂げたのだった。