ぼくらのプロレス(再)入門BACK NUMBER
獣神サンダー・ライガーが引退決断。
ジュニア発展に身を捧げた男の矜持。
text by
堀江ガンツGantz Horie
photograph byAFLO
posted2019/03/13 08:00
ジュニアヘビー級の底上げに多大な貢献をしたライガー。彼の功績はこれからも若き戦士たちの指針となるだろう。
新日ジュニア黄金時代を築いたライガー。
ライガーは、現在も続く年に一度のジュニアの祭典『トップ・オブ・ザ・スーパージュニア』(現在は『ベスト・オブ・ザ・スーパージュニア』に改称)などでジュニアの中心人物として活躍。
'90年代に新日ジュニア黄金時代を築いたが、それは、'80年代に一時代を築いたスーパースターである初代タイガーマスク(佐山聡)とは、異なる活躍の仕方であった。
タイガーマスクは無敵のヒーローであり、ダイナマイト・キッド、小林邦昭らライバルたちはその敵役だった。一方でライガーは“常勝チャンピオン”ではなく、勝ったり負けたり切磋琢磨することでライバルたちを輝かせ、ジュニアヘビー級というジャンル自体を底上げしていったのだ。
そうしてライガーと闘うことでブレイクしていったのが、佐野直喜(現・巧真)、保永昇男、エル・サムライ、ワイルド・ペガサス(クリス・ベノワ)、2代目ブラックタイガー(エディ・ゲレロ)といったレスラーたちだ。
プロデューサーとしても才能を発揮。
さらにライガーは'94年に、ジュニア全体のプロデューサー的な立場となり、4月16日両国国技館、団体の枠を超えたジュニアのワンナイトトーナメント『SUPER J-CUP』を初めて開催する。この大会では、みちのくプロレスのザ・グレート・サスケやFMWのハヤブサが大ブレイク。
団体の壁も、メジャーとインディーの垣根も取り払うことで、ジュニアヘビー級の魅力を満天下に知らしめた。
こうしたライガーの私利私欲を捨てた姿勢が、ジュニアの黄金時代を生みだしたのだ。