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「普通の人でいたかったです」
須田幸太はベイスターズに殉じた。
 

text by

日比野恭三

日比野恭三Kyozo Hibino

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photograph byKyodo News

posted2019/02/08 17:30

「普通の人でいたかったです」須田幸太はベイスターズに殉じた。<Number Web> photograph by Kyodo News

プロ人生最初で最後のセーブを挙げた試合での須田幸太。ベイスターズで過ごした日々に、悔いは無い。

むっちゃ無責任なんですよ。

 まず「プロ野球でのキャリアを大きく2つに分けるなら」との問いに、須田は「2015年の6月までと、2015年の8月から」と明確に答えた。

 そのころ、与えられた役割が、先発から中継ぎへはっきりと変わった。安定感に欠け「先発失格の烙印を押された」すえの転向だったが、結果は吉と出た。

「どうしても先発の時は『何回まで投げなきゃいけない』という気持ちが先にあって。入りが悪くて、初回に打たれたり3回ぐらいに打たれたり、5回もたずに降板ということが多かった。中継ぎになってからは1イニング、フルで、全力で投げれば終わり。そっちのスタイルのほうが合ってました。というか、何回投げなきゃいけないという思考をなくした途端に、自分のピッチングができるようになったんです。変な話、いっきに責任感がなくなった」

 2015年9月5日のジャイアンツ戦では、最初で最後となるセーブを記録。痺れる場面を乗り切って、「プロで抑えはやりたくない」と身に染みて思った。全員でつないできた勝利のバトンを最後に受け取る役目が重すぎたのだ。

「むっちゃ無責任なんですよ、ぼく」

 32歳は奔放に言い、屈託なく笑った。

「究極の便利屋」を目指す!

 2016年、キャンプインを迎えた須田は不思議な感覚に包まれていた。これまでになく球が伸びる。オープン戦の時期に入り、打者との対戦を重ねて、自信は深まっていった。

 オフに相当走り込んだか、それともフォーム改造に着手したのか。あるいは中継ぎ転向によるメンタルの変化が球にも表れ始めたということか。考えられる要因を挙げてみたが、須田はそれらを一切払いのけた。

「(原因は)わからないんです。特別、トレーニングしたわけでもないし、フォームも変わってないし。それなのに突然変わった。『こんな球よかったっけ』『これだったら1年いけるじゃん』って」

 こうして始まったシーズンを思い返し、「何をやっても抑えてた感じ」と須田は言う。「究極の便利屋を目指す」と宣言した男はその誓いのとおり、僅差の試合中盤から後半、踏み荒らされたマウンドの上で輝いた。

 反省をするならば、「なぜできたのか」を突き詰めなかったことだ。答えが導き出せていれば、いつか良質の感覚を失った時、復調への手掛かりにはなるはずだった。しかし、好調の渦中にいながらにして不調の未来に備えることは難しかった。

 須田は夏場を迎えてもなお球の勢いを失わなかった。プロ入り後初めてチームに確固たる居場所ができ、心身ともにかつてなく充実していた。

 試練が訪れるのは、レギュラーシーズンも終幕に差し掛かった9月24日のジャイアンツ戦だった。

 ベイスターズは球団史上初のクライマックスシリーズ(CS)進出をすでに決め、2位のジャイアンツに肉迫していた。そんな状況下、5-5の同点で迎えた7回表に須田の名はコールされる。2アウト一塁で、打席には坂本勇人。フルカウントから投じた6球目はわずかにゾーンを外れた。

 須田が苦悶の表情を浮かべたのは、次打者の阿部慎之助に対し初球を投じた直後である。左脚を跳ね上げ、抱え、引きずりながらマウンドを降りた。一度天を仰いでからうなだれた。左太もも、正確には内側(ないそく)ハムストリングスの肉離れだった。

【次ページ】 「無理です」と言えなかった自分の責任。

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