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「普通の人でいたかったです」
須田幸太はベイスターズに殉じた。
posted2019/02/08 17:30
text by
日比野恭三Kyozo Hibino
photograph by
Kyodo News
須田幸太、32歳――この記事は、忘れがたき“普通の人”の去り際の物語である。
その人の顔がたびたび思い返されたのは、彼がさよならを言わずに去ってしまったせいだろうか。
2018年10月3日、横浜DeNAベイスターズは、9人の選手に戦力外通告を行ったと発表した。プレスリリースに並んだ名前の先頭に、その人――須田幸太の名前はあった。
11月13日に開催された12球団合同トライアウトに参加した須田を、獲得しようという球団は現れなかった。去就が明らかになるのはさらに1カ月後。須田自身が催したファンとの交流イベントで、プロ入り前に所属していた社会人チーム、JFE東日本に復帰することが本人の口から語られた。
毎年、プロ野球の世界から離れる選手たちは数多い。8年間で16勝19敗37ホールド1セーブの記録を残した須田は、少なくとも数字の上ではスペシャルな存在ではない。だから彼のその後の人生がさほど大きな話題にならなかったとしても、それは当然のことなのかもしれなかった。
ただ、筆者の心には釈然としない思いが募っていた。いくつかの「なぜ?」が、答えを得られぬまま宙に浮いていた。
疑問の根底には、2016年の姿がある。
この年の須田は、マウンドの上で跳ね、打者を圧する直球を投げた。やがて中継ぎの柱となり、勝ちパターンの一角を担った。チーム最多の62試合に登板して、プロ入り6年目にしてついに覚醒の時を迎えた感があった。
だが2017年・2018年の須田は、ありていに言えば、よくなかった。両年の防御率は8.10(23試合)、7.59(10試合)だった。
「嵐が活動休止になって寂しいですね」
なぜ調子は落ちたのか。
なぜ2016年の状態に戻れなかったのか。
たとえばあと1年待てば、戻ってこれる可能性はあったのか、なかったのか。
どんな思いで戦力外の現実を受け止め、どんな思いでプロ野球の世界を後にしたのか。悔いはないのか。
そして、古巣の社会人チームで野球を続ける道を選んだのはなぜか。
確かめる機会もないまま問いは積み重なる一方だった。やがてどうにも放っておけなくなり、須田に会いに行こうと思い立った。
JFE東日本の練習拠点「犬成野球場」は、千葉県市原市にある。2019年1月下旬の風の強い日、冬の薄日が射しこむ古びた応接スペースに須田は現れた。「JFE」の刺繍が入ったジャンパーを着ているほかは数カ月前と何も変わらない。座って向き合うなり「いやあ、嵐が活動休止になって寂しいですね」ととぼけてみせたのも須田らしかった。
そこから始まった75分間のインタビューに、須田は終始丁寧に答えてくれた。
疑問はほとんど解けた。ただその代わりに、胸にずしりと重い感覚が残ることになる――。