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「普通の人でいたかったです」
須田幸太はベイスターズに殉じた。
text by
日比野恭三Kyozo Hibino
photograph byKyodo News
posted2019/02/08 17:30
プロ人生最初で最後のセーブを挙げた試合での須田幸太。ベイスターズで過ごした日々に、悔いは無い。
引退か? 古巣での現役続行か?
2018年9月のある日、須田は横浜スタジアムに呼び出された。球団からの戦力外通告だった。望むなら引退試合を行うと打診されたが、須田は固辞した。
「8月が終わりそうな段階でも上(一軍)に呼ばれなかったので、そういうことなんだろうと思ってはいました。だから(戦力外と)言われた時は『そうですか。わかりました』という感じ。引退試合は……別にやらなくていいかなって」
現役続行か、引退かをめぐる須田の心理は微妙なものだった。
戦力外と言われた時点で、プロにこだわり現役を続ける気持ちは薄かった。ずっと「自分のストレートが投げられなくなったら終わり」と思ってきた。ただ、ほかの球団から声がかかるならばそこに行くのが最善だとも考えていた。
その一方で、早い段階から古巣のJFE東日本に復帰する意思が芽ばえていたのも事実だった。自分をドラフト1位で指名されるほどの選手に育ててくれた恩義があり、何よりこのJFE東日本というチームが好きだった。トーナメント制の、一発勝負の大会に懸ける社会人野球の楽しさも胸にはずっと残っていた。
プロ入り後もシーズンオフの自主トレでは犬成野球場を使い、所属時の主将で2017年から監督を務める落合成紀には「クビになったら獲ってくださいね」とよく冗談を言っていた。実際に戦力外通告を受けてから連絡すると、獲得に前向きな返事をしてくれた。
トライアウト受験後、NPB球団からの連絡はなく、条件面でも折り合いがついたことから、須田はJFE東日本への復帰を決めたのだった。
2年も分からなかった原因が……。
重要な気づきを得るのは、ベイスターズを離れ、犬成野球場での練習を開始したころのことである。
投球練習を見ていた落合やコーチの井上祐二らに、左足の踏み込みの甘さを指摘されたのだ。
「『いい時の踏み込みがないよね。下から伸びてくるような球が本来もっとあったよね』って言われて、初めて気づいたんです。いや、自分でも気づいていたというか、気づいていなかったというか……。調子が悪い日は『踏み込めてないのかな』と思うことはあったけど、普段は『踏み込めてるじゃん』と思ってて。誰かに言われることもなかった」
踏み込みの強さがいつしか失われたのはなぜか?
過去に遡って原因を探れば2016年の秋に行き着く。自分では治ったものと思い込んでいた肉離れは、まるで亡霊のように左太ももの裏側に居座っていたのだ。須田はその箇所をさすりながら言う。
「こないだMRIを撮ったら、いまでもしこりがあるって言われて。どれだけ鍛えても、またケガしたくないって体が勝手に思って、踏み込めなくなっちゃってたんです。それで自分本来の球が出せなくなった。イップスみたいなものですよね」
この2年間ずっとわからなかった不振の原因に、戦力外通告を受けてから気づかされた。現実は残酷だった。