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「普通の人でいたかったです」
須田幸太はベイスターズに殉じた。
text by
日比野恭三Kyozo Hibino
photograph byKyodo News
posted2019/02/08 17:30
プロ人生最初で最後のセーブを挙げた試合での須田幸太。ベイスターズで過ごした日々に、悔いは無い。
「無理です」と言えなかった自分の責任。
キャリアハイを大幅に塗り替える、シーズン62試合目の登板。未知の領域へと踏み込んだがゆえの負傷だったのだろうか。
「いや。あれは自分の判断ミス」
須田は淡々と振り返る。
「前の投球でもうおかしかった。坂本勇人に投げた最後の球でたぶん軽度の肉離れを起こしてたんです。そこでタイムをかけて『無理です』と言えなかったのが自分の責任だなって。阿部さんへの初球の前に、もう(肉離れ)やるなってわかってたので」
9月下旬の故障は、例年ならシーズンの終わりを意味する。実際、高田繁GMや一軍投手コーチからは「また来年がんばってくれ」と言われていた。だが須田はあきらめなかった。
10月8日にはCSファーストステージが始まり、勝ち抜けば12日からのファイナルステージが控えていた。
「モチベーションがそこしかなかった。痛いけど、やろうって。(肉離れの)3日後ぐらいには『調整はします。無理だったらあきらめます。でも、もし間に合うなら出させてください』と言いました。トレーナーが毎日ついてくれて、いろんな段階を飛ばして最短の復活ルートを探してもらって。チームが(ファーストステージで)勝つことが前提だけど、10月13、14日あたりに合わせよう、と。だからもう、巨人戦はマジで勝ってくれってずっと思ってましたね」
1勝1敗で迎えたCSファーストステージ第3戦を、リハビリに勤しんでいた須田はラジオで聴いた。ベイスターズ1点リードの延長11回裏2アウト、山崎康晃が阿部に打たれた大飛球が右翼手、関根大気のグラブに収まった瞬間から、須田の復帰プログラムは加速する。
宮崎に飛んでフェニックス・リーグでの実戦登板を挟む案もあったが、須田は「時間が足りない。ぶっつけ本番で行きます」と言って押し切り、結局シート打撃に一度登板しただけでファイナルステージの開催地である広島へと向かった。
本当は「全然治っていなかった」。
ベイスターズはリーグ覇者のカープを相手に第1戦、第2戦を落としていた。アドバンテージも含めて0勝3敗。崖っぷちに立たされていた。
須田が合流したのは10月14日、負ければ終わりの第3戦のタイミングだ。マツダスタジアムに姿を見せ、報道陣には「帰ってきたので100%ということ」とうそぶいた。
本当のことを言えば「全然治っていなかった」。数日前にMRIで状態を確認したが、患部は肉離れを示す白い陰影で覆われたままだった。左太ももをテーピングでガチガチに固めて試合に備えた。そこまでしてでも「あの場で投げたかった」明白な理由があった。
「来年同じ活躍ができる保証もなかったし、(チームが)3位に入る確証もない。自己管理不足と言われてしまうかもしれないけど、もしかしたら一生に一度かもしれないCSで投げないなんて、野球人として許せなかったです」
須田が入団したのは2011年だ。球団の経営権がDeNAに移る前の年であり、いまだ終わりの見えない暗黒期の中をプロとして歩みだした。だからこそ未来を楽観視することなどできなかった。12球団のしんがりでたどり着いたCSが唯一無二の機会に思えたのも無理からぬことだった。