ぼくらのプロレス(再)入門BACK NUMBER
今の新日本隆盛を半世紀前に先取り。
ジャイアント馬場を正当に評価する。
text by
堀江ガンツGantz Horie
photograph byAFLO
posted2019/02/06 10:00
ジャイアント馬場のジャンピングニーパッド。そのスケールの大きさは日本プロレスにとって偉大な財産だった。
馬場というスケールの大きさ。
それに対して馬場は、'60年代前半、全米でトップレスラーとして大活躍。そして力道山の死後、'64年に日本プロレスの新エースとなるべく帰国すると、超大物外国人レスラー相手に、力道山とは違った本場アメリカ直輸入のスケールの大きなプロレスを展開した。
昭和のプロレスにおいて'60年代後半の馬場は、唯一の世界標準レスラーだったのだ。
力道山や猪木は、馬場のようにアメリカで真のトップレスラーとして活躍できなかったからこそ、日本で独自のプロレスを花開かせたとも言える。そして猪木イズムの名の下、ガラパゴス的に発展した日本のプロレスは、UWFという格闘プロレスを経て、総合格闘技をも生み出すにいたるのである。
しかし'90年代末から2000年代にかけて、PRIDEなど総合格闘技が隆盛する中、新日本プロレスは猪木イズムの呪縛から逃れることができず、暗黒時代を迎えてしまう。
棚橋、中邑にある馬場的要素。
それを払拭したのが、脱・猪木を掲げて、プロレス本来の面白さを追求した、棚橋弘至ら現在の新日本トップレスラーたちだ。
その猪木イズムを取り除いたプロレスは、アメリカンプロレス的な要素を多分に取り入れた、“馬場プロレス”が目指したものと同じベクトルを持っている。新日本が猪木的要素を消し去ったとき、馬場的なプロレスが浮かび上がってきたのだ。
また、新日本のトップレスラーだった中邑真輔が、2016年からアメリカのメジャー団体WWEに移籍し、世界で大活躍し始めたことで、それを半世紀前にすでに成し遂げていた馬場の偉大さが、あらためてクローズアップされることにもなった。
日本とアメリカのプロレスが“地続き”となったいま、多くの人たちが馬場の本当の偉大さにようやく気付き始めたのだ。