酒の肴に野球の記録BACK NUMBER
低反発金属バット導入は一石三鳥だ。
高校野球の金属バット問題を考える。
posted2018/11/08 08:00
text by
広尾晃Kou Hiroo
photograph by
Ko Hiroo
甲子園の熱狂から2カ月半、銀傘を沸かせた球児たちも、それぞれ身の振り方が決まって「次の物語」が始まろうとしている。今年の甲子園は酷暑、投手の酷使など様々な問題が浮き彫りになったという点でも後世に記憶されるだろう。
酷暑、投手の酷使とともに注目されたのが、金属バットの問題だ。厳密には、夏の甲子園の後に行われたU18アジア選手権で、甲子園を沸かせた高校球児たちが思いのほか不振で、優勝はおろか決勝にも進めなかった。この際に「金属バット問題」がクローズアップされたのだ。
ただし、この結果は一般のファンにはショックだったかもしれないが、野球関係者の間では「織り込み済み」の話でもある。高校野球世代のここ5年の主要な国際大会での戦績はこうだ。
2014年BFA U-18アジア選手権大会 優勝:韓国 日本:準優勝
2015年WBSC U-18野球ワールドカップ 優勝:アメリカ 日本:準優勝
2016年BFA U-18アジア選手権大会 優勝:日本
2017年WBSC U-18野球ワールドカップ 優勝:アメリカ 日本:3位
2018年BFA U-18アジア選手権大会 優勝:韓国 日本:3位
この間、高校レベルの世界大会では日本代表は1度も世界一になったことがない。またアジアの大会でも日本は過去3回で1回しか優勝していない。
日本のU18は4000校近い高校の代表だ。それがアメリカ代表はともかく、野球部のある高校が50校しかない韓国や、200校しかない台湾に勝てないのだ。
その最大の原因がバットだと言われている。アメリカ、韓国、台湾の高校と、日本の高校では使用しているバットが違うのだ。
韓国、台湾では普段から木製のバットを使用している。アメリカは、反発係数を木製と同レベルに調整した金属バットを使っている。これに対し、日本は反発係数が高い金属バットを使っているのだ。
国際大会では日本の球児たちは木製バットに持ち替えるが、付け焼き刃で対応できるはずもなく、貧打のうちに敗退するのだ。甲子園で活躍した大阪桐蔭の根尾昂は、台湾、韓国戦では7打数で内野安打1本、藤原恭大は7打数2安打。長打は藤原の三塁打1本だけだった。
日本選手はたくさんフライを打ち上げていたが、その多くが外野フェンスの手前で失速していた。金属バットならばフェンスを越えていたと思える打球も多かった。
金属バット導入で高校野球は変わった。
高校野球が金属バットを導入したのは、1974年夏から。木製バットは折れやすく、費用がかかることから耐久性がある金属バットの使用を認可したのだ。
春夏の甲子園大会を、戦前(1915年~1944年)、戦後の木製バット時代(1945年~1974年春)、金属バット時代(1974年夏~現在)までの3期に分けて、1試合当たりの本塁打数を出すと以下のようになる。
戦前(中等学校時代) 0.172本(784試合135本)
戦後木製バット時代 0.157本(1631試合256本)
戦後金属バット時代 0.575本(3521試合2025本)
戦前の本塁打の、かなりの部分がランニング本塁打だ。創設当初の甲子園は両翼110m中堅119m左右中間128mもあったからである。1936年に改修で縮小されてからは、柵越え本塁打が増えた。
木製バット時代は、本塁打は6~7試合に1本程度だったが、金属バットになってからは2試合に1本強になった。最近はさらに増えて、2018年は0.927本(55試合51本)になっている。これは今年の阪神タイガースの甲子園での本塁打率1.000本(49試合49本)とほとんど変わらない。