ぼくらのプロレス(再)入門BACK NUMBER
馬場&猪木の確執と歴史から見る、
史上4度目オールスター戦の意味。
posted2018/11/03 09:00
text by
堀江ガンツGantz Horie
photograph by
AFLO
来年2月19日、両国国技館でプロレスの“オールスター戦”が開催されることが発表された。
大会名称は『ジャイアント馬場没20年追善興行~王者の魂~』。昭和からプロレスを長年牽引し、1999年に亡くなった“世界の巨人”ジャイアント馬場さんを偲び、全日本プロレス、新日本プロレス、大日本プロレス、プロレスリング・ノア、WRESTLE-1ほか、主要各団体のレスラーが一堂に会する豪華なイベントになりそうだ。
日本のプロレス界でオールスター戦は、これまで数えるほどしか行われていない。公式に「オールスター戦」と謳われたのは、1979年8月26日に新日本、全日本、国際プロレスの3団体が集結し、日本武道館で行われた『プロレス夢のオールスター戦』。
そして東日本大震災復興支援チャリティーとして、新日本、全日本、ノアの3団体が合同して開催した『ALL TOGETHER』(2011年8月27日・日本武道館&2012年2月19日・仙台サンプラザホール)のわずか3回(女子プロレスオールスター戦をのぞく)。
それほど各団体の足並みを揃えるのは難しく、マッチメイクや収益の分配率をはじめ、デリケートな問題が数多く存在するということだろう。
'79年大会は奇跡的だった。
事実、1995年4月2日に『週刊プロレス』を発行するベースボール・マガジン社が開催し、13団体が参加した東京ドーム大会『夢の懸け橋』では、オールスター戦的なイベントにも関わらず、それぞれの団体の提供試合のみで、対抗戦は行われなかった。また、テレビ放送もビデオ・DVD販売もされていない。
それだけに、1979年の8・26『プロレス夢のオールスター戦』が実現したのは奇跡的だった。当時は新日本がテレビ朝日、全日本が日本テレビ、国際が東京12チャンネル(現・テレビ東京)とそれぞれ独占契約を結び、しのぎを削っていた時代。とくに猪木の新日本と馬場の全日本は長い“冷戦”状態にあり、その両団体が揃うオールスター戦の実現は、半ば不可能かと思われていたからだ。