ぼくらのプロレス(再)入門BACK NUMBER
馬場&猪木の確執と歴史から見る、
史上4度目オールスター戦の意味。
text by
堀江ガンツGantz Horie
photograph byAFLO
posted2018/11/03 09:00
1979年のオールスター戦では、ジャイアント馬場とタッグを組んだアントニオ猪木が、タイガー・ジェット・シンを押さえ込む場面も。
東スポが仲介に入って……。
この不可能が可能となったのには、いくつかの理由が存在する。まず8・26『夢のオールスター戦』は、プロレス黎明期からともに歩んできた東京スポーツ新聞社の創立20周年記念事業だったこと。また、主催となった東スポの取り分は必要経費だけで、残りの興行収益はすべて3団体へ分配するという形が取られた。
これによって各団体は、東スポの記念事業に協力してファンの夢を実現させるという大義名分とともに、リスクなく大きな収入という実利が得られることとなった。
そして当時はプロレス報道が柱だった東スポにとっても、オールスター戦でプロレス界が盛り上がれば、新聞の売り上げに直結する。興行収益ではなく、本業の新聞事業の販売促進という側面もあったのだ。
収益の面がクリアされると、残る大きなハードルはメンツの問題だった。とくに馬場は当時、数年間にわたり猪木からほぼ一方的に“口撃”を受けており、オールスター戦に対しても、当初は「過去の経緯をクリアにするなら考えてもいい」と、暗に猪木の“謝罪”を要求していたのだ。もちろん猪木はこれを拒否。結局、東スポが仲介に入り、非公開で両雄のトップ会談が行われ、ようやく双方が出場を確約した。
鶴田、藤波、マスカラス、BI砲。
こうして8・26『夢のオールスター戦』は正式決定。テレビ放送の問題は、各団体がテレビ局と独占放送の契約を結んでおり、所属選手の試合を他局で放送することが契約上できなかったため、結局事前の取り決めにより、報道ニュース扱いでのみ映像を流すことができることとなり、各局のニュース枠で3分間だけ実況付きで放送された。
マッチメイクも、一番デリケートな新日本と全日本の直接対決は極力避け、団体の枠を超えた夢のタッグ結成などを優先。そんな中で、ジャンボ鶴田、藤波辰巳(現・辰爾)、ミル・マスカラスの夢のトリオも実現している。
そしてメインイベント。当時のファンの最大の要望は馬場vs.猪木の直接対決だったが、これは実現困難として早々に取り下げられ、代わりにかつて最強タッグチームの名をほしいままにした馬場&猪木のBI砲が再結成された。
対戦相手はファンの投票により、アブドーラ・ザ・ブッチャー&タイガー・ジェット・シンという、全日本と新日本のトップヒールが合体した、最凶悪コンビに決定した。