サッカー日本代表「キャップ1」の男たちBACK NUMBER
元名古屋・中村直志が代表で知った、
Jの試合と決定的に異なる感覚とは?
text by
吉崎エイジーニョ“Eijinho”Yoshizaki
photograph by“Eijinho”Yoshizaki
posted2018/09/10 07:00
2001年のプロ入りから引退まで、全シーズンでリーグ戦に出場し、活躍し続けた中村直志。
もしあのシュートが入っていれば……。
とはいえ、気分は夢見心地とはいかなかった。
試合前の合宿中には、オシムから直接声をかけられることはなかった。試合当日は試合前のウォーミングアップの段階となっても、先発メンバーはおろかベンチ外の選手も伝えられない。だから全員がどんな動きをすべきか分からない状態だった。ふだんとは違う状況に中村は少し集中を欠いてしまった。
74分、確かにピッチに投入されている。
「記録を見ると……長谷部と交代してるんですけど、それも覚えていませんね。ポジションも中盤のどこだったか、覚えていない。頭の中は、真っ白ですよ」
ただ、覚えているシーンはひとつだけだ。
「ミドルシュートを打ったんです。何かを残そうと。パスの選択もできたシーンで、打った。キーパーが弾いたところを佐藤寿人が詰めていった場面まで記憶にあります」
そのシュートが決まっていれば。もしかしたら違うキャリアもあったかもしれない。しかしその時の中村は、次にもチャンスがあるかどうかなども考える余裕がなかった。
「とにかく、代表チームの注目度というのがものすごくて。あれこれ考えることができなかった。あと、やっぱりガツガツ行かない自分の性格もあると思うんですよね。貪欲に、残っていこうという意識は少し低かったと思います。貪欲さがあれば、余裕も持てたかもしれない。そこは残念だと思いますよ」
「今思えば、ですけど」。中村は穏やかに、淡々と口にする。当時思っていた、名古屋で試合に出続けたいという思いやクラブへの愛情は、決して間違いではなかった。その姿から、そうも感じとれた。
中村はその後、9月にオシムの下でアジアカップ予選に招集されたが、出場機会が与えられることはなかった。
12年前と今の代表も似た状況に。
12年前も現在も、状況が似ている部分がある。
新監督の下、大きく選手がシャッフルされた点だ。
当時はじつに代表チームに集まった19人のうち、11人がA代表キャップゼロだった。今回の森保ジャパンでは、23人のうちキャップゼロこそ7人だが、ロシアW杯出場選手はわずか1人となった(発表当初は6人。その後、怪我での辞退が2名出て、初選出選手が2名増えた)。
「新しいチームのうえに、Jリーグでみんな顔を合わせていますから、『自分が新顔』というプレッシャーはだいぶ和らいでいました。ドイツW杯に出た選手と、僕と同じ初選出だった闘莉王は目立っていましたが」
ただ、周囲の選手のことで感じることがないわけではなかった。この日、自分以外の田中マルクス闘莉王、鈴木啓太、山瀬功治ら5人が先発メンバーとして代表デビューを果たした。
「すると、自分も出たいなという感情がぐっと高まってきたんです」