サッカー日本代表「キャップ1」の男たちBACK NUMBER
元名古屋・中村直志が代表で知った、
Jの試合と決定的に異なる感覚とは?
text by
吉崎エイジーニョ“Eijinho”Yoshizaki
photograph by“Eijinho”Yoshizaki
posted2018/09/10 07:00
2001年のプロ入りから引退まで、全シーズンでリーグ戦に出場し、活躍し続けた中村直志。
名古屋グランパス一筋14年。
「え? 15分以上試合に出てたんですか? 5分くらいだったと思っていたんですが」
名古屋グランパス一筋で14年間プレー。リーグ戦通算341試合に出場した。2014年に引退しフロント入り。現在は愛するクラブのアカデミーグループのスカウトとしてU-15とU-12の選手の能力を見極め、獲得する役割を担う。
「あまりその試合を振り返ってこなかったんですよ。日本代表で1試合出たからって、本当に代表なのかと思っていて。代表を語りたくない、というか。チームに生き残ってこその日本代表選手だと思っているんで」
元来、ガツガツと自己主張するタイプではない。でもこの試合についてだけは、「違う風に考えてもよかったかな」という思いもある。
「ストイコビッチがいた」名古屋へ。
千葉県船橋市で育った中村にとって、代表は子供の頃からスタンドで生観戦するものだった。
「総武線沿線に住んでいたので、軽いノリで千駄ケ谷に行けたんです。電車一本で。自分もそこに立ちたい、なんてまったく思うことはなくて。ただすごいな、と思うばかりでした」
'91年のキリンカップでは、赤いユニフォームの日本代表がトッテナムに4-0で勝って、「ヨーロッパ相手にもこれだけやるんだ」と思った。
翌年の同大会では、バティストゥータやカニーヒアがいたアルゼンチン代表が日本代表と対戦した試合をよく覚えている。
中学校時代までジェフユナイテッドの下部組織に所属したが、ユースチームに昇格できなかった。名門・市立船橋高で厳しいトレーニングに耐え、ポジションを掴んだが、決して目立つ方ではなかった。全国高校サッカー選手権大会では、中村俊輔率いる桐光学園を決勝で下し優勝したが、チームで最も注目を浴びたのはFW北嶋秀朗だった。日大時代に関東選抜や日本選抜に選ばれ評価を上げた。「ストイコビッチがいたのも大きな理由」で、複数クラブから名古屋を選び、入団した。
「年代別代表なんか、まったく縁がないんですよ。そこまで行ける選手だとは思っていなくて。日本代表になりたいんじゃなくて、Jリーグでプロ選手になりたかった。その思いが強かったですね」