サッカー日本代表「キャップ1」の男たちBACK NUMBER
元名古屋・中村直志が代表で知った、
Jの試合と決定的に異なる感覚とは?
text by
吉崎エイジーニョ“Eijinho”Yoshizaki
photograph by“Eijinho”Yoshizaki
posted2018/09/10 07:00
2001年のプロ入りから引退まで、全シーズンでリーグ戦に出場し、活躍し続けた中村直志。
プロ入りしてから急成長した中村。
転機は遅く、プロに入ってから訪れた。
それまでの攻撃的なMFからボランチに移る。すると、そこまで気づかなかった自分の能力に気づいていく。
「球際の強さ、攻守の切り替え、アジリティや運動量。そういうことに特長があるんじゃないかと思い始めたんです。
それまでは『攻撃に絡んでこそサッカー』と考えていたのが、『今、ここで自分が頑張って守備に戻れば、失点は防げる』といったことが見え始めたんです」
己を知ってからは、少しずつ自信を深めていった。
プロ2年めの'02年から'07年まで、アベレージでリーグ戦年間30試合近い出場機会を得ていた。ただ、代表はまだまだ遠い存在だった。
「クラブでとにかく試合に出ることを考えて、プレーしていたんです。名古屋で試合に出ることだってすごいことなのに、代表だなんてとんでもないって。自分はそこまでの器だとは思っていなかったというか」
名古屋に入ってからの日本代表の記憶……といえば、'02年W杯後のことだ。
楢崎正剛が大会出場後、チームに戻ってきた。FKの練習で楢崎が守るゴールにシュートを打った時、「なんて贅沢」と思ったほどに遠いものだった。
自分に関係ないと思っていた代表発表。
「なんだ、これは?」
それは、携帯電話への異常な数の着信から始まった。
寝ぼけ眼の中村は、クラブ関係者への折り返し電話から理由を知る。2006年8月5日の夜のことだった。
「代表発表の日だったんですが、そんなことは自分に関係ないと思っていて。蒸し暑い夏の名古屋で連戦をやって、試合の日以外でも暑い中で練習試合にフル出場して、くたくたに疲れたから寝ていたんです」
代表に選ばれた、という連絡だった。
当時のオシムは、初陣に臨むにあたり4日に13人のみを発表。その後5日に5人を追加招集した(その後、8日にさらに1名追加された)。そのなかに中村が含まれていたのだ。明日からすぐに千葉の合宿に参加してくれ、と言われた。
「驚いた、というか『え、今すごく疲れた状態なんだけどどうしよう』という思いがまず先立って……」
名古屋から向かったのは新習志野の秋津サッカー場だった。不思議な気分だった。夢にも見なかった代表招集の場が、千葉県の実家の近くだったのだ。