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元浦和のバジール・ボリの栄光。
「マルセイユは街そのものがクラブ」 

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トマ・シモン

トマ・シモンThomas Simon

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photograph byPatrick Gherdoussi/L'Equipe

posted2018/06/05 11:00

元浦和のバジール・ボリの栄光。「マルセイユは街そのものがクラブ」<Number Web> photograph by Patrick Gherdoussi/L'Equipe

今でも25年前の栄光は色あせない……マルセイユの街では、バジール・ボリはずっとスター選手である。

2年前、100%勝てると確信していて負けた。

――今でも決勝点となったヘディングのことを思い出しますか?

「いや、僕が思い出す必要もないぐらいに、周囲がその話をするからね。特にここマルセイユではそうで、今でも『優勝してくれてありがとう』と言われるよ」

――優勝が決まった瞬間にどんなことを感じましたか?

「満足感と目標を達成できた喜びだ。最初の決勝('91年、バリ。レッドスター・ベオグラードにPK戦の末に敗戦)は、勝てると100%確信していた。勝つ力は十分にあったのに、勝ったのは僕らではなかった」

――決勝当日('93年5月26日)をふり返ってください。

「僕らは落ち着いていた。ベルナール・タピ(当時会長。試合でもよくベンチに座り、選手に指示を出していた)の方が監督(レイモン・ゲタルス)より喋ったね。監督は戦術面を指示しただけだった。『ゴール前の40mからは、誰も君の後ろに残すな、バズ(ボリの愛称)。君が常に最後尾で、ブロックはコンパクトに保て』と。

 ボス(タピ)はこう言った。『この中には'91年決勝の経験者もリスボンでの準決勝('90年)の経験者もいる。今日の決勝をわれわれは夢見てきた。相手は世界最高のチームだ。今こそ聖杯を飲み干すときだ』」

――それを聞いてあなたの気持ちはどうでしたか?

「高揚したというよりも落ち着いた。自信満々で臨んだ最初の決勝は失敗した。2度目のチャンスが得られたのは幸運なことだと思ったよ」

敗戦から多くを学んでいたOMの選手たち。

――タピはどんな様子だったのでしょうか?

「僕らの傍にいたけど、2年前よりずっとリラックスしていた。彼もまた、敗戦から大きな教訓を得ていた」

――キックオフ前にロッカールームで話をしたのは誰ですか。ディディエ・デシャンだったのでしょうか?

「いや、誰も話さなかった。皆それぞれがひとりで集中していた。

 ロッカーを出て整列をしたときに、誰もが落ち着いた気持ちになっているのがわかった。もちろん相手に敬意は払うけど、決して彼らを自由にはさせない。静かにそう思っていた。

 僕は負傷あがりだったけど、アップの間は何の問題もなかった。ところが10分過ぎにアクシデントが起こって、自分が望むようなプレーがもうできないことが良く分かった。そこから先は、怪我を押してプレーし続けたんだ」

【次ページ】 ハーフタイムでは誰も会話をしなかった。

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