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ベンゲル、王様になった革命家。
その22年間の絶対王政を検証する。
text by
フィリップ・オクレールPhilippe Auclair
photograph byJerome Prevost/L'Equipe
posted2018/05/30 17:00
新スタジアムにおいて輝ける栄光に包まれていたアーセン・ベンゲル。だがその後、他のビッグクラブとの競合には負け続けた。
正義、善、光の側に立ち続けるベンゲル。
主力を欠き本来のプレーを実践できなかったにもかかわらず、PK戦の末にマンチェスター・ユナイテッドを下した'05年FAカップ決勝の後でベンゲルは、以降絶対にネガティブな戦術はとらず、どんな状況であれ自らのスタイルを貫くことを誓った。
彼にとってのアーセナルは単なるサッカークラブではなかった。
選手たちと彼らが実践して生み出す“スタイル”こそが、善と悪の対決、光と影の対決を意味する戦いの主役なのである。そうであるからこそ彼の選択に疑問を呈するのは、彼が信じる唯一無二の公正な世界観への疑問提示に他ならなかった。革命家の情熱の背後には、この種のファナティスムが常に存在する。
この信仰心は、クライフやグアルディオラのそれ――彼らの場合純粋に戦術に限られるにせよ――とそう違わない。そしてそれは年を経るにつれ益々強固となり、論理の域を越えて混迷の度合いを深めていった。
革命を起こしえない革命家は、自分自身のカリカチュアでしかない。しかも客観的な視点をもはや持ちえないとしたら……。
ベンゲルが唯一耳を傾けた人物の不在。
'07年4月には、かけがえのない友人でもあったデヴィッド・ディーン(当時副会長)がクラブを去った。
それは単に支えとなる人物を失ったのではなく、ベンゲルが敬意を払ってその意見に耳を傾けられる唯一の人物の不在をも意味した。
ただ、だからといってディーンの離脱が「それ以前」と「それ以降」を分けることにはならない。
ベンゲルが辿ってきた道のりは、彼自身の信念に従った真っ直ぐなものであったわけでは決してない。ディーンの離脱をはじめとするさまざまな出来事が、方向をゆがめてきたのである。