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ベンゲル、王様になった革命家。
その22年間の絶対王政を検証する。
text by
フィリップ・オクレールPhilippe Auclair
photograph byJerome Prevost/L'Equipe
posted2018/05/30 17:00
新スタジアムにおいて輝ける栄光に包まれていたアーセン・ベンゲル。だがその後、他のビッグクラブとの競合には負け続けた。
ベンゲルとファーガソンの決定的な違いとは?
「監督は3年目が最も困難」というベラ・グットマン(ハンガリー生まれの伝説の名監督。4-2-4システムの創始者のひとりと言われ、ベンフィカの黄金時代を築いた)の言葉に抗うのは難しいが、サー・アレックス・ファーガソンこそはその最も稀有で輝かしい反例である。
彼は『フランス・フットボール』誌のインタビュー('07年)で、監督の仕事は「スムーズに変化を成し遂げること」だと述べている。
ベンゲルとファーガソンの決定的な違いは、ファーガソンは未来永劫不変な哲学を信奉する革命家ではなかったことである。
美しいプレーの伝道師を自認しながらファーガソンは、まず第一にプラグマティストであり一定の周期でスタッフを入れ替えていた。
一方、ベンゲルは、名古屋時代から変わることなくボロ・プリモラツを傍らに置き、パット・ライスとスティーブ・ボルトが約20年間アシスタントをし続けた。同じ期間監督をしながら、ファーガソンが7人のアシスタントを起用したのと対照的である。
2012~'13年シーズン優勝を果たしたファーガソンの最後のチームは徹底した“勝利のマシン”であり、理想的なプレーの希求など微塵もなかった。
美しき理想を毎シーズン実現するのは不可能では?
ベンゲルは違う。
彼はクライフやグアルディオラと同類の、自ら信じるものの表現者であった。
彼が築きあげたチームはただひとつの例外もなく、彼がジャンマルク・ギウーのもとでアシスタントを務めたASカンヌ時代から培った価値観を体現していた。
その価値観こそが、2001~'02シーズン、'03~'04シーズン、'07~'08シーズンの美しいプレーを生んだことは間違いない。それは、ベンゲルにとって疑う余地のない哲学だったのである。
ただ……指揮し続けた22年間を通して考えた時、彼自身がその哲学に裏切られたばかりでなく、単純な問題としてずっとその美しき理想を実現し続けることは不可能だったのではないか、と考えざるを得ない。実際に、ベンゲルの理想が全面的に開花したのは一度きりであり、そのことについてベンゲル自身も、もしかすると後悔の念を抱いているかもしれない。