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ベンゲル、王様になった革命家。
その22年間の絶対王政を検証する。 

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フィリップ・オクレール

フィリップ・オクレールPhilippe Auclair

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photograph byJerome Prevost/L'Equipe

posted2018/05/30 17:00

ベンゲル、王様になった革命家。その22年間の絶対王政を検証する。<Number Web> photograph by Jerome Prevost/L'Equipe

新スタジアムにおいて輝ける栄光に包まれていたアーセン・ベンゲル。だがその後、他のビッグクラブとの競合には負け続けた。

ベンゲル政権は2つの時期に分けられる。

 アーセナルでの22年間は、ふたつに区切ることができる。

 1996年の就任から始まる輝きに満ち溢れた最初の時期は、2004年10月24日にマンチェスター・ユナイテッドが暴力的な手段に訴えながら、アーセナルの無敗記録に終止符を打ったときに終わりを告げた。

 そこから低迷の第2期がはじまり……今まさに長く続いた王政は終わりを告げようとしている。

 ベンゲルも、すぐに息切れしたわけではない。'05~'08年の彼は、まだまだ革命家の鎧を身に纏っていた。そしてこの時期にタイトルをひとつも取れなかったのは彼の責任ではない。というのもふたつの理由によりアーセナルは、ライバルたちと肩を並べることができなかったからだ。

莫大な費用のスタジアム建設とアブラモビッチ。

 ひとつは新スタジアムの建築のため膨大な出費を強いられたこと。

 もうひとつはロマン・アブラモビッチが登場し、ベンゲルが「ファイナンシャル・ドーピング」と糾弾した経済モデルを確立したことだった。

 そうしたハンデを背負いながら、ベンゲルはチームの再構築にすべてを賭けた。この2シーズンの間に、運動能力にベースを置いたグループは他の能力――繊細なテクニック――を根拠とするようになった。

 パトリック・ビエラがセスク・ファブレガスに主役の座を譲り、ティエリー・アンリがリーダーとなって'06年にはユベントスとレアル・マドリーを破りチャンピオンズリーグ決勝に進出した。

 '07年にはアンリがバルセロナに去ったものの、リーグ優勝が確実と見られた'07~'08シーズンは、エドゥアルド・シルバが負傷欠場し不運なPKを取られたバーミンガムでの試合が転換点となった。タイトル獲得に失敗したアーセナルは、華麗でスペクタクルなプレーを実現しながら、同時に2度目の革命にもしくじったのだった。

 その後、アーセナルに3度目の革命の機会は訪れなかった。

 そしてベンゲルは、王位を返上するときを迎えた。

 かつての革命家は、惜しみない拍手と賛辞のなかで、長年慣れ親しんだクラブを今、去るのだった。

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