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政治、音楽、そしてサッカーが融合!
世界一特別なクラブ、リバプールの謎。
text by
フィリップ・オクレールPhilippe Auclair
photograph byAlexis Reau/L'Equipe
posted2018/05/24 11:20
過去には乱暴なファンも多かったリバプールだが、現在はほとんどいなくなり、安心して観戦できるようになったそう。
リバプール訛りが大流行した時代。
リバプールの出身であると主張し(2週間も現地に滞在すれば誰もがそう言うことができた)、リバプール訛りで話すことがアメリカでは流行した。
ビートルズ(と何人かのリバプールの選手)のように長髪をなびかせることが、当時のヒップスターのスタイルだった。レノンやシャンクリーのようなプロレタリア出身であることが、あの頃の若者たちの憧れであり流行だった。
まさにそのときにコップで歌われ始めたのが、リバプールをリバプールたらしめているチャントの数々で、その中のひとつが今やブロードウェーのクラシックともいえるジェリー&ザ・ペースメーカーズのヴァージョンによる『You'll Never Walk Alone』であった。
この歌自体を歌い始めたのは、より甘い響きのペリー・コモのヴァージョンを歌ったセルティックのサポーターの方が早い。だが、世界的に見たときに、「ウォークオン、ウォークオン……」と歌うのは、リバプールに捧げるオマージュ以外の何ものでもなかった。
“労働者のバレエ”と音楽がシンクロした。
この“労働者のバレエ(=サッカー)”とポップミュージックの結びつきは、別にイングランドサッカーの存在論的な特徴というわけではない。
それは両者がともに飛躍を遂げた1960年代における必然的な結果であり、その震源地こそがリバプールであったというだけだ。
ただ、それは今や遠い昔の出来事でもある。
どれほど強烈なインパクトであっても時がたてば人々の記憶の彼方に追いやられる。クラブが新たにヨーロッパチャンピオンのタイトルを獲得するまでに21年を待たねばならなかった。
だが、それすらもレッズの魅力と化している。
敗北や事件すらもこのクラブへの哀惜の念を高めるのである。
それは「ヘイゼルの悲劇」(1985年)であり、その4年後に起こった「ヒルズボロの悲劇」であった。