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平塚、川崎、鹿島、そして福島で見た、
26年目のJリーグとホームタウン。
text by
川端康生Yasuo Kawabata
photograph byYasuo Kawabata
posted2018/03/16 16:30
3月11日の開幕戦を、福島ユナイテッドは勝利で飾った。こうして歴史はつづいていくのだ。
武蔵小杉は昔ヴェルディのホームだった。
それにしても武蔵小杉の町の発展ぶりは目を見張るばかりだ。この日もゴールが生まれた後(フロンターレにとっては悔しい失点)、視線を上げて、スタンドの向こう側に聳える高層マンションをしばし見つめてしまった。
川崎市と等々力競技場は、もともとヴェルディのホームタウンでホームスタジアムだった。フロンターレがJ1に昇格した2000年には“川崎ダービー”も実現。両クラブの社長が武蔵小杉駅でチラシを配ってPRしていた。
それでもすでに東京移転が決まっていたヴェルディと地元自治体との関係はすっかり冷え込んでいて、ホームタウン作りの難しさを痛感したものだ。
ヴェルディだけではない。Jリーグの立ち上がり期にはホームタウンを巡る“右往左往”は多くのクラブにあった。
最高の優等生、鹿島アントラーズ。
そんな中、最高の優等生、つまりJリーグの理念を体現したのが鹿嶋市(と周辺自治体及び茨城県)とアントラーズだろう。初代チェアマンの「99.99……%ない」から始まり、1万5000人収容の屋根付きスタジアム建設、そしてファースト・オブ・ファーストステージ優勝へと至る物語はまさしくフットボールドリーム。Jリーグのスタートダッシュにも大きく貢献した。
その末に最強クラブとなり(日本リーグ2部だったのだ)、そればかりかワールドカップの開催地にまでなってしまうのだから(人口6万人の町である)、もうミラクルというしかない。
僕が訪れた試合ではサンフレッチェ広島に敗れ、スタジアムには盛大なブーイングが響いていたが、それさえも夢物語のワンシーン。チームの成功と、ホームタウンの成功が両立した(もしかしたら稀有な)ストーリーはJリーグ史においても、クラブ史においても、市史においてもずっと語り継がれていくだろう。
鹿島とアントラーズと、そしてJリーグが起こした奇跡として。