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平塚、川崎、鹿島、そして福島で見た、
26年目のJリーグとホームタウン。
text by
川端康生Yasuo Kawabata
photograph byYasuo Kawabata
posted2018/03/16 16:30
3月11日の開幕戦を、福島ユナイテッドは勝利で飾った。こうして歴史はつづいていくのだ。
Jリーグ成功の肝になった標語。
第2節は、その湘南と川崎フロンターレのゲームを等々力競技場で見た。フロンターレのホーム開幕戦。“万年2位”に甘んじてきた強豪は昨年ついにチャンピオンの称号をつかみとった。この一戦でも持ち味のスキルフルな攻撃サッカーを披露。相手をハーフコートに封じ込めるチーム力を見せた(結果は引き分けだったが)。
フロンターレはJ2が併設された1999年にJリーグ入りしたチームだ。1993年のJリーグ創設から数えて7年目。当初の10クラブから18クラブへ増えたところで、Jリーグは2部制へ踏み切った。
「あなたの町にもJリーグはある」
Jリーグ成功の肝はこの標語に尽きる。ファンをサポーターに、フランチャイズをホームタウンに言い換えることで、Jリーグは新しい社会像を提示し、共感を得たのだ(新しいビジネスモデルを構築した、と言ってもいい)。
だからクラブ数の拡大はJリーグの生命線だ。全国津々浦々にクラブを生み出し続けなければならない宿命を負っているということである。悲劇を再発しない(=クラブ経営を安定させる)ことと相反するこの命題への取り組みこそが、リーグが担う舵取りということになる。
38都道府県にJクラブは存在している。
フロンターレが加わった1999年、J1・J2合わせて26クラブとなったリーグは、2012年に40クラブに。そして2014年にはJ3を新設し、現在では54クラブにまで増えている(さらに予備軍である「百年構想クラブ」も6クラブある)。自治体でみれば、実に38都道府県にJクラブは点在している。
わたしの町にもJリーグはある。そう言っても過言ではない日本が、25年を経て、いまここに確かにある。