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竹内智香は「人として」金を目指す。
自分でボードを作り、感覚で滑る。 

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西川結城

西川結城Yuki Nishikawa

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photograph byAFLO

posted2018/02/21 17:00

竹内智香は「人として」金を目指す。自分でボードを作り、感覚で滑る。<Number Web> photograph by AFLO

竹内智香にとっては4度目だったソチ五輪では銀メダルを獲得。平昌の目標はもちろん金だ。

ケガの期間は「すごくハッピーだった」。

 2016年3月には、レース中の転倒で左膝前十字靭帯を断裂。約20年の選手人生で、最も大きなケガだった。

 誰もが心配と不安の視線を送る中、当時を振り返る竹内が面白い。

「一番はじめに頭をよぎったのが、競技のことではなかったんです。私、シーズンが終わったら少し休みを取って、アメリカに語学留学に行く予定にしていたんですよ。でも、それがケガをしたことで取りやめにするしかなかった。ものすごく残念でした!

 よく、『ケガのリハビリはきつかった?』とか『精神的にきついよね』とか言われました。でも思い出すのは楽しいことばかり。それまで競技の連続で、特にソチ五輪で銀メダルを取って以降は休みがなかった。だから自分ひとりの時間すら持てなかった。でもリハビリ中は一日中好きな映画を見たり、本を読んだり。なんか、人としての楽しみを取り戻せたことがすごくハッピーだったんです」

 選手人生をも左右するケガにしても、この受け止め方である。当然、そこには人には見せないつらい思いや不安もあるだろう。ただ、彼女はそうしたネガティブな感情で自分の中をいっぱいにはしない。それを才能というのか、強さと表現するのかはさまざまだが、前を向く姿勢は並大抵ではない。

スイスナショナルチームでの修行。

 竹内の平昌五輪までの軌跡を描く上で、こうしたエピソードは避けて通れない逸話である。ただ一方で、本人は「あまりにも皆さんに取り上げていただいているけど、そんな話ばかりではないですよ」と語る。

 スノーボード選手としての彼女を語る上で、欠かせないキーワードがある。それは、先述したケガのリハビリ時の話の際にも自ら明かした、「人として」という言葉である。

 2007年からの5年間、竹内は拠点をスイスに移し、スイスナショナルチームとともに練習をする日々を送った。

 もちろん簡単に受け入れられたわけはなく、まだまだスキー競技では強豪国と言えない日本の選手にとって、初めは世界トップレベルの代表の扉は重かった。それでも持ち前の真っ直ぐさと粘り強さで、最後は代表メンバーの誰もが認める選手として受け入れられた。

【次ページ】 ボードを自分で作り、世界的なブランドに。

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