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竹内智香は「人として」金を目指す。
自分でボードを作り、感覚で滑る。
text by
西川結城Yuki Nishikawa
photograph byAFLO
posted2018/02/21 17:00
竹内智香にとっては4度目だったソチ五輪では銀メダルを獲得。平昌の目標はもちろん金だ。
ボードを自分で作り、世界的なブランドに。
そのスイス時代に、彼女は新たな世界にも開眼した。それは、板作り。アスリートが自らボードを作り、競技に臨むという稀有な作業に挑んだ。元スイス代表のショッホ兄弟とともにボードブランドを立ち上げ、今では世界の一流選手たちが、竹内のブランドの板を付けて勝負している。
「最初は本当に掘っ立て小屋みたいなところで、自分たちで材料を切るようなところからスタートしたんです。今となってはしっかりブランドとして成立し、工場や職人さんが協力して製作していますが、自分で板を作ることでマテリアル(道具)への有り難みを確認できるし、メーカーとして振る舞うことで選手をサポートする側の立場の感情も共有できる。選手として以前に、人として大切なことを学べています」
スイスの選手たちは、競技生活の傍ら、異なる仕事を持つ人たちも多かった。女性選手であれば、例えばベビーシッターをしながら空いた時間でトレーニングを積み、それでもレースでは上位に進出する人も。
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「アスリートとしてストイックになることも大切です。でも、私は全ての時間を競技にかけないと勝てないというのは、言い訳なんだなとその時に気づいた。こんなにメリハリを付けても、しっかり結果を出している選手もいる。人として生きるという部分こそが、選手としての深みも生む。すごく大事なことを理解できました」
この時期に学んだことが、今も選手・竹内智香の礎になっている。今回平昌五輪を迎えるにあたっても、「スイス時代の経験が本当に自分の支えになっている」と明かした。
「自分にはスノーボードのセンスがある」
競技者としては、まさに感覚派である。
「自分にはスノーボードのセンスがあると思う。これは勘違いとかではなくて、逆にそれがなかったらきっと私は選手にはなれていなかった」
しかしその感覚が、今シーズンに入って鈍っていた。
昨年12月、年が明けて1月と続いた公式戦は二桁順位、もしくは予選敗退を繰り返した。端から見ても理由は存在した。昨年夏のニュージーランド合宿で首を痛め、その後のアメリカ合宿でも膝が腫れ、さらにはコースを滑る最中に指を脱臼してしまった。