箱根駅伝PRESSBACK NUMBER
箱根駅伝オリジナル4の2校が本気に。
筑波と慶應が目指す24年ぶりの箱根。
posted2017/10/12 16:30
text by
神津伸子Nobuko Kozu
photograph by
Sports Graphic Number
14日に迫る箱根駅伝予選会。シードを持たない学校の戦いは、今年度もここから始まる。
1920年に初めて開催された「四大校駅伝競走」。箱根駅伝の原点となるこの大会で、優勝した筑波(当時・東京高等師範)、最下位だった慶應義塾。この文武両道の古豪2校の箱根駅伝復活プロジェクトが現在進行形なのだ。
2011年に始動しプロジェクト7年目を迎えた筑波と、始動から半年の慶應義塾。立ち位置はそれぞれ違っていても、その経過・成果が注目を集めている。
「毎年、全てを監督に任せきりだった。1年生の時から自分は予選会に出続けているが駄目で。今年こそ、何としても結果を出します」
筑波の中長距離ブロック長、森田佳祐(4年)はそう不退転の思いを語る。
秋の夕闇が迫る茨城県・筑波大学のクロスカントリーコース。広大なキャンパスの北側に位置する外周760mの緑豊かな場所だ。中央には少し荒れたサッカーグラウンドと古びたゴールポストが残されている。約30名の陸上競技部の学生たちが、自己申告による3つのタイムグループに分かれて、スタートを切る。3年前に監督に就任した弘山勉が、サイドに立つ。大きな声で「20、21!」、黙々とラップを知らせる。
選手たちの表情は本番さながらで、声をかけることも出来ない。ブルーのセカンドユニフォームを着るもの、普段通りのランニング姿のもの、色とりどりの集団だったはずが、次第に闇に飲まれて、色が識別出来なくなってくるまで練習は続いた。
悪い意味での慶應ボーイらしさも消え……。
一方の慶應義塾。スカウティングを開始してからの学生は来年の入学になるため、プロジェクト元年は既存のメンバーで戦う。長距離専任コーチの保科光作が就任した春先には、走力はもちろんのこと「精神面でもまだまだ弱い」と、悪い意味での慶應ボーイらしさも感じていた。心身ともにタフな選手にと、ハードな指導を続け、選手たちも頼もしさを日に日に増している。
そんな保科が驚き、心打たれる出来事が夏合宿で起きた。今夏の同学の合宿は3回、約1カ月にわたった。これほど長期の合宿は同学競走部が発足して初めて。3回目は選抜チームのみが参加した。
2度目の合宿での出来事だ。他の選手が黙々と走り続ける中、休憩していた部員の様子がおかしいことに保科は気が付いた。腹痛のために休んでいたのだが、問うてみると、練習が出来なくて、悔し泣きをしていた。しかも、ラストシーズンを迎える最終学年ではなく、若い2年生だったことにも驚きを隠せなかった。
「自分の体調管理さえ出来ず、走れない事が情けないです」(2年部員)
学生時代から厳しい環境で走り続けている保科ですら、「試合に負けての悔し涙は何度も見たが、これは全く初めて見た光景だった。心から強くなりたいという激しい思いを感じた」という。
彼だけではない。選手たちは目に見えてたくましくなっていった。夏以降、朝練を倍にするなど、自主的な走りこみをどんどん増やしている。選抜チームから漏れた面々も、1年生でも虎視眈々と選抜入りを狙っている。
箱根復活を目指す古豪2校の取り組みを追った。