“ユース教授”のサッカージャーナルBACK NUMBER
ついに名古屋vs.岐阜が雌雄を決する!?
J2「名岐ダービー」という痺れる対戦。
text by
安藤隆人Takahito Ando
photograph byKazuhito Yamada,Kouichi Takamori/Kaz Photography
posted2017/03/09 11:00
おどけた表情でゴールアピールをする岐阜の田中パウロ淳一。岐阜のサポーターにとっては一生忘れられない1点となった。
ダービーの中身は「42分の1の試合vs.健気な挑戦者」!?
あのゴールの瞬間と、豊田スタジアムの一瞬の静寂は、岐阜サポーター、そして「岐阜県民全員」にとって痺れる瞬間、一生忘れられないシーンとなった。
名古屋サポーターにとっては、「岐阜相手に引き分けてしまった」「岐阜相手に『負けるかも』と思ってしまった」という意識がシッカリ残ったはずだ。
「名岐ダービー」は冒頭で表現したように、「42分の1の試合vs.健気な挑戦者」の温度差がくっきりと浮かび上がる、ふたつの土地の県民意識を大きく反映させたダービーであった。
残念ながら勝つことは叶わなかったが、岐阜にとっては対等に戦った上での、非常に価値ある勝ち点1となったのである。
最近では時々「FC岐阜」という名前を見かけるように!
いま、FC岐阜は岐阜県人が誇る大きなアイデンティティーになろうとしている。
FC岐阜が誕生するまでは、「名古屋」という強烈なアイデンティティーに抗うものが岐阜県民には無かった。
岐阜県と言えば「下呂温泉」「飛騨高山」「白川郷」「関ヶ原」という世界に誇る観光名所があるにはある。だが、多くの人はこの4つの名称は知っていても、岐阜県にあるということを意識しないし、いずれも県庁所在地の岐阜市にあるわけでもない。
そんな岐阜県民の、現代における確固たるアイデンティティーとなりそうなのが、FC岐阜の誕生だったのだ。
2001年に地域リーグからスタートし、地元・岐阜出身のスター選手である元名古屋の森山泰行を獲得し、彼を中心にチーム作りをし、毎年コツコツとステージを上げていった。
そして2008年のJ2昇格により、スポーツニュースや新聞、様々なメディアなどにも「FC岐阜」の4文字が表示されるようになり、マイナーだった故郷の名前を東京でも目にするようになった。
岐阜は毎年のようにJ2残留争いを続けているが……下部リーグへの降格制度が始まってからまだ一度もJ3に陥落したことはない! 今回は名古屋のJ2降格という他力ではあったが、ついにダービーマッチを実現させるところまでこぎ着けたわけである。
次こそは名古屋に勝つ――。
岐阜が誇るアイデンティティー、FC岐阜。
「名岐ダービー」の第1ラウンドは非常に実り多い、岐阜県民であることに誇りを感じさせてくれる痺れる戦いだった。