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棚橋弘至は1・4で何をたくらむ?
不気味な沈黙を続けるエースの心中。
text by
原悦生Essei Hara
photograph byEssei Hara
posted2016/12/01 11:30
11月5日の「パワー・ストラグル」(大阪府立体育会館)の試合後。床に倒れ込んだ棚橋。
結局……1・4のメインを逃してしまった棚橋。
棚橋もこの遅れは十分に意識していた。10月10日の両国大会にはどうにかなると思っていたが、肉体は正直だった。
棚橋がやっと「行ける」と感じたときは時間が経ち過ぎていた。
結果、IWGPヘビー級選手権の挑戦者になることはできなかった。これは同時に1・4東京ドームのメインを逃したことを意味した。自動的に1・4のメインはオカダvs.ケニー・オメガに決まってしまったのだ。
11月5日、大阪での事実上のカムバック戦。いや、カムバックの足掛かりとなる試合で勝利をつかんだ棚橋は、密かにある記憶を思い起こした。
3年前、2014年の1・4の回想だ。この年はダブル・メインイベントという扱いで、中邑真輔vs.棚橋のインターコンチネンタル選手権とオカダvs.内藤のIWGPヘビー級選手権がラインナップされていた。
正直、誰が考えても、試合順は明白だった。だが、話題づくりという一面も織り込まれて、その試合順序を「ファン投票」という方法で決めたのだ。
結果、試合順は逆転して、IWGPヘビーが第9試合、インターコンチネンタルが第10試合という理不尽なことになったわけだ。
棚橋時代は2016年の1・4で終わっているのか?
この手を棚橋はまた行使しようとしたわけだが、あの時のことを苦々しく思っている内藤に論理的に否定された。
棚橋はファン投票という禁じ手を「保留」したが、内藤の試合順序の論理が正しいことも静かに付け加えた。
そう小さな声で、静かに。
棚橋は「7年連続の東京ドームのメイン」にこだわりを見せていた。これは棚橋の価値観であり、プライドでもある。
だが、それを「棚橋時代は2016年の1・4で終わっている」と公言する内藤にいとも簡単に完全否定された形だ。
「棚橋弘至の背中をずっと追いかけてきた」内藤にだから精神的なショックは大きい。