なでしこジャパンPRESSBACK NUMBER
佐々木則夫監督の功績を改めて思う。
「男子と違う」前提で極めた局地戦。
posted2016/03/15 10:30
text by
浅田真樹Masaki Asada
photograph by
Getty Images
リオデジャネイロ五輪アジア最終予選での敗退を受け、サッカー女子日本代表、「なでしこジャパン」の周囲が騒がしい。
期待や願望との落差があまりに大きい結果を突きつけられたからか、ピッチ外の、それもゴシップ色の濃い話ばかりが強調されて伝わってくる。
佐々木則夫監督が求心力を失っていたのか。ベテラン選手と若手選手との間に溝があったのか。私は事実を知らないが、大なり小なり、チームの雰囲気というものは勝てばよくなり、負ければ悪くなるものだ。
そうしたピッチ外の要因が結果と無関係だとはもちろん思わないが、もう少しピッチ内で起きていたことに、つまりはサッカー的な視点でなでしこジャパンに目を向けるべきではないだろうか。そんなことを感じている。
今回のリオ五輪予選を見ながら、頭のなかでいろいろと考えを巡らせていたのは、「女子サッカーをどう捉えるべきなのか」ということだ。
サッカーという競技を男子中心に見ている立場からすると、女子サッカーは、見ていてもどかしい思いをすることが少なくない。
男子と同じ感覚でやろうとしすぎ?
例えば、前線に駆け上がったサイドバックにボランチがロングパスを送る。ところが、サイドバックはバウンドしたボールに合わせられず、パスはそのままタッチラインを割ってしまう。
あるいは、縦パスを受けたFWが前を向き、DFラインの背後を狙って動き出したMFにスルーパスを出す。だが、MFはこのパスにまったく届かず、ボールはそのままゴールラインを割ってしまう。
いずれの例も、男子のサッカーを見ている感覚で言えば、パスが出た瞬間は「ナイスパス!」なのだ。ところが、男子よりも走るスピードが遅いため、実際は通らない。呼吸が合う合わないの問題ではなく、物理的に通るはずのないパスを出しているのだ。
こうした現象から感じるのは、女子選手は自分たちの特徴とは関係なく、男子と同じ感覚でサッカーをやろうとし過ぎてはいないか、ということだ。
極論すれば、女子サッカーは男子のそれとは似て非なるもの。もはや別競技と考えたほうがいいのかもしれない。女子なりのサッカーの進め方がもっとあってもいいのではないか、と感じてしまう。