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ACLで広州恒大に敗れ続けるJリーグ勢。
日韓が中国への経由地になる日は?
text by
吉崎エイジーニョ“Eijinho”Yoshizaki
photograph byJ.LEAGUE PHOTOS
posted2015/10/23 11:50
キャプテンの遠藤は「(前回優勝した時より)今の方が安定して戦えている。国内のタイトルへ全力で切り替えたい」とコメント。
新しい世界に挑戦し、見事に成功した金英権。
韓国の全州大在籍時の'09年、U-20ワールドカップでのプレーがFC東京スカウトに高い評価を得た。左足での正確なフィードを持つ金にとって、韓国よりも緻密なパスでゲームを組み立てる日本はうってつけの場所だった。
'10年に同クラブでプロデビューした後、リーグ戦で23試合プレーした。'11年にCBの人材を求めていた大宮アルディージャに移った。
そんな金に広州からのオファーが届いたのは、'12年のシーズン途中のことだった。
「ものすごく悩みましたよ。果たして、移籍していいものかと。当時は中国のチームに対するイメージもしっかりしたものがありませんでしたから。現在のように中国国内で優勝して、ACLでも上位に食い込むといった想像はまったくしていませんでした」
当時監督だった、マルチェロ・リッピ肝いりのオファーだったとされる。また韓国メディアでは年俸は2億円とも2億4000万円とも報じられた。
いっぽうで、金英権を最終的に後押ししたのはこの感情だった。
「新しいことにチャレンジしてみよう、という気持ちですよ。僕だって当然いつの日かはヨーロッパでプレーしたいと考えている。中国に渡ることがそこにどんな影響を与えるかは分からない。でも、とにかくやってみようと」
韓国代表チームにある「中国派(組)」という枠。
'12年ロンドン五輪の大会前のことだった。金自身、この大会で銅メダリストとなり、徴兵免除を勝ち取る前の決断でもあった。一般的に韓国の若手プレーヤーは「徴兵に行ってキャリアが中断する前に、しっかりと報酬を稼ぐ」という考え方がある。そういった要因も中国行きを後押ししたことは想像に難くない。
とはいえ、当時の中国はまだ、韓国人プレーヤーにとっても『未知の地』だった。今でこそ、代表チームのなかに『中国派(組)』という言葉ができるほどに多くのプレーヤーが在籍しているが、当時は過去に代表歴がある選手が数名プレーしていた程度。韓国メディアの間でも、「ギャランティはいいが、エグい場所」といったイメージくらいしかなかった。勝利給がとてつもなく高いが、逆に負けると罰金を取られるといったエピソードも伝わっていた。