相撲春秋BACK NUMBER
拝啓 放駒元理事長
この相撲ブームを見たらきっと――。
posted2015/10/21 11:30
text by
佐藤祥子Shoko Sato
photograph by
Masahiko Ishii
拝啓 放駒元理事長
第1信に続き、再び筆を取らせていただきます。
今を先駆けて、年寄株のあり方や巡業の形態を改革しようと、理事長として革新的な考えを持っていた出羽海(元横綱佐田の山)政権の時代に、その才を見込まれ、協会執行部入りしたのが放駒元理事長でもありました。
相撲協会内では珍しい、実直で実務タイプの貴殿は、理事長となるまでに事業部副部長や広報部副部長・審判部長などの要職を、十数年にわたり歴任なさっていたものです。
ときに「角界の常識は非常識」と揶揄されたほど、一般社会と乖離する部分のある相撲界でしたが、ヨカタ――これは相撲界以外の一般人を指す隠語でしたね――との温度差をうめ、渡り合う交渉窓口ともなっていたのは、周囲が認めるところでありました。あるベテラン記者が、こう言っていたものです。
相撲界と外部との“通訳”ができる人だった。
「相撲界の論理でなく、外部の人と対等にきちんと話ができたのが、唯一、放駒さんだった。古い体質のムラ社会のなかで、それができる貴重な人材。いわば“通訳”ができる人だったんですよ」
今、私が思い出すのは、2012年初場所9日目のこと。恒例の理事長懇談会で、日本雑誌協会のお歴々が貴殿を囲み、一堂に会した場面です。この場所限りで退任となる放駒理事長のために、すでにリタイアしていた、かつての日本雑誌協会幹部の方々が襟を正し、ずらりと揃い並ぶ光景に驚いたものです。
「是非、最後に一言ご挨拶を申し上げたく参上しました」
「ことあらばわれわれ雑誌は、協会にとって有益とはいえない、耳に痛いような報道もしなければいけない立場でした。そんな雑誌協会に対し、広報部副部長時代から、当時の理事長との間に入っていただき、便宜を図ってもくださいました。本当にお世話になったと感謝する次第です。是非、この最後の機会に御礼を申し上げたく思います」
口々に謝辞を述べ、すでに白髪、禿頭となったその頭を貴殿に向かって深々と下げる元幹部らの姿に、若輩ものの私はただ、感じ入ったものでした。