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拝啓 放駒元理事長 
この相撲ブームを見たらきっと――。 

text by

佐藤祥子

佐藤祥子Shoko Sato

PROFILE

photograph byMasahiko Ishii

posted2015/10/21 11:30

拝啓 放駒元理事長 この相撲ブームを見たらきっと――。<Number Web> photograph by Masahiko Ishii

1973年初場所12日目、魁傑(左)と貴ノ花(右)の取組。放駒元理事長は現役時代、その人柄から「クリーン魁傑」と呼ばれていた。

「いや、放駒さんはたぶん……」

「いや、放駒さんはたぶん見なかったんじゃないかな。定年してからまったく、相撲関係の場には顔を出さなかったでしょ。相撲には、もう一切関わらない、と決めたのか……。そう言えば、亡くなったのは息子さんとのゴルフ中のことだったよね。しかも5月の場所中の、ちょうど相撲中継の時間だった……」

 若かりし頃、涙と汗を流し、砂にまみれた土俵。長じては、理事長として苦難にまみれ、心身共に疲弊しつつ通い詰めた国技館。退職後は、その肩の荷を下ろし、しばし相撲を離れ――恩讐を彼方に置いて、貴殿は身を引く覚悟だったのでしょうか。そしていつしか、虚心坦懐に振り返ることができる日を、待っていたのでしょうか。

 享年66。虚血性心疾患で倒れたのは、定年退職後、翌年のことでした。

 貴殿の思い出話をするなか、執行部入りしてからの十数年を傍らで見続けていたある協会員が、こう言っていたものです。

「相撲界に入ってなかったら、実業家」

「みんなが思うイメージと違うかもしれないけれど、放駒さんは数字が好きで、事業に対してもすごく興味を持っていた人でした。相撲界に入ってなかったら、実業家になりたかった、と言っていたこともあったんですよ」

 今の相撲界の隆盛を見て、放駒元理事長は、なんと言ったでしょうかね――と問うてみると、彼はこう即答しました。

「うん、それは当然、『今がピークだから、次のことを考えなきゃ』と言っていたはず」

 放駒元理事長。今、本場所のみならず、各地の巡業も大盛況で賑わっています。力士を目にした老若男女の笑顔が、日本全国津々浦々で溢れているのを、ここにご報告します。

かしこ

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