相撲春秋BACK NUMBER
拝啓 放駒元理事長
大相撲復活の礎はあなたが作った――。
text by
佐藤祥子Shoko Sato
photograph byJMPA
posted2015/10/20 10:50
就任直後、2010年秋場所の千秋楽で挨拶する放駒理事長(当時)。
「放駒さん、大丈夫だろうか……」
その当時を振り返り、貴殿をよく知るかつての協会職員が、ぽつりぽつりと話してくれました。
「八百長問題に関わったとされる力士や親方の大量処分は、放駒さんにとって、きっと本意ではなかったと思います。文科省が送り込んできた外部委員の方たちの強い意向が、まずあった。当時、毎日、記者たちを前に放駒さんが会見していました。ある日、『理事長も弟子をスカウトした経験があるでしょう?』と、暗に『力士たちに愛情がないのではないか』との含みを持たせた質問をされた。この時は、さすがに可哀想でした。『そうしないと……前に進まないんですよ』と、訴えるように言う、あの苦渋の顔を今でも思い出します」
糖尿病によって視力を失った義眼をもって、山のように積み上げられた文書に目を通し、連日の関連会議や“お上”との対応に奔走する日々。当時、一門として合同稽古をしていた、愛弟子でもある芝田山親方(元横綱大乃国)や、弟弟子にあたる峰崎親方(元幕内三杉磯)が、
「ボロボロでフラフラじゃないか。放駒さん、大丈夫だろうか……」
そう心配していたとも耳にしました。
「クリーン魁傑」と呼ばれた誠実さ。
しかし、「公平性も一貫性もない」と、糾弾されて疑義の声も上がった性急な処分に、角界内部からは猛反発を受けることになりました。まさに土俵内外で無数の敵に囲まれた状態で、当時の放駒理事長は、間違いなく「孤高の人」であったでしょう。
その現役時代から「クリーン魁傑」と呼ばれたほどに、実直で誠実。まるで「石部金吉」のような人だった、とも伝え聞きます。前相撲から引退までの約13年間、「休場は試合放棄」との信念で、1日の休場もなし。そして唯一、大関から平幕まで陥落して復帰した経験を持つ、不屈で強靱な精神を持つ力士でもあったのですね。
現役引退後は、師匠として横綱大乃国を育てあげました。放駒元理事長の残した弟子たちを引き継ぎ、育てているその芝田山親方が、在りし日の貴殿について語ってくださったものです。