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島袋洋奨が語る「原因不明の不調」。
甲子園の伝説と、復活への道のり。
text by
中村計Kei Nakamura
photograph byKei Nakamura
posted2014/12/20 10:40
現在の島袋洋奨は中央大学の4年生。春には卒業を控え、その後には待ちに待ったプロでの生活が始まる。
原因不明の不調に陥った大学3年の秋。
そんな島袋の不調が囁かれるようになったのは3年秋のシーズン途中のことだ。極度の制球難に陥り、2勝6敗と大きく負け越す。
一部報道では、2年春に痛めた左ヒジの影響でフォームを崩したとも書かれたが、本人いわく、それは関係ないという。
「ヒジは、ちょっと炎症した程度。安静にしていただけで治りました。今はもうまったく痛くない。ただ、3年秋も最初はよかったのですが、少しずつ指先の感覚が狂い始めて、緩いボールじゃないとストライクが取りにくくなった。原因は……わからないんですよね」
大学入学当初、懸念されていた弱点を突かれた。フォームが大きいため、徹底的に走られたのだ。そのため高校時代よりもコンパクトなフォームに少しずつ改良した。また、体重は高校時代よりも約5kg増え72kgになった。そうした変化が微妙に影響したのかもしれない。
恐怖心で腕が縮こまり、決まって嫌な夢を見た。
それまで「何も考えずに投げてきた」ため、考えれば考えるほどわからなくなった。
「頭の中がぐちゃぐちゃになりました」
4年春は、さらにコントロールが悪化した。開幕カードの亜細亜大との2回戦では2回に5連続四球を出し、2回途中3失点で降板。その約1カ月後、駒沢大1回戦では初回に押しだし四球を2つ与え、3失点で1回でKOされた。
「あのときは、もう代えて欲しくてたまらなかった」
何度となくバックネットにボールをぶつけた。あるいは、投球が打者の背中を通ることもたびたびあった。暴投を重ねるにつれ恐怖心がふくらみ、腕が縮こまり、結果的にさらに手元が狂った。
神宮球場のブルペンはファウルグラウンドにある。そのため暴投をすると捕手に迷惑がかかる。その恥ずかしさを思うと、全力で投げることができなくなった。
「ブルペンで十分な準備ができないまま試合のマウンドへ行く。それで結果が出るはずがないですよね……」
4年春は14回と3分の2しか投げなかったにもかかわらず四死球は17個を数え、初めて未勝利に終わった。
4年秋は約1年振りに勝ち投手になるなど復調の兆しも見られたが、よかったり悪かったりを繰り返した。精神状態が不安定なときは、決まって嫌な夢を見た。
「エレベーターが一気に落ちる夢とか、車のブレーキがきかなくなる夢を、何度も何度も見ましたね……」