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島袋洋奨が語る「原因不明の不調」。
甲子園の伝説と、復活への道のり。
posted2014/12/20 10:40
text by
中村計Kei Nakamura
photograph by
Kei Nakamura
苦悩の深さがうかがえた。
「テレビで野球を観ていても、自分がマウンドに立たされているような気持ちになってきちゃうんです。自分だったら抑えられるかな、と。それで気づくと、左腕にじっとりと汗をかいていて……」
今年のドラフトでソフトバンクから5位指名を受けた中央大の島袋洋奨は、大学時代、投球恐怖症と戦っていた。
島袋と言えば、2010年、沖縄の興南高校を春夏連覇に導いた立役者だ。身長172cmながら「琉球トルネード」と呼ばれるダイナミックなフォームで、ストレートは常時150kmに迫った。2大会で全11試合に登板し、奪三振数は計102個。ボールそのものも魅力的だったが、彼の最大の武器は驚異的なスタミナだった。
準々決勝で敗れた聖光学院の監督・斎藤智也は「もう、嫌になっちゃうよ」と島袋を讃えた。
「うちは2人ピッチャーがいたのに、興南に勝っても、おそらく次はもう戦えなかった。相手は島袋一人なのに、まだぴんぴんしてたからね。おそらくベスト8に残ったピッチャーが束になってかかっても、彼一人にかなわなかったと思うよ」
高校生の中で、島袋だけが異次元にいるように映った。
上位指名が確実視されていたが、大学進学を選択。
高校3年秋、ドラフト会議を間近に控えた島袋は、志望届さえ提出すれば上位指名は確実だと伝えられていたが、「まだ自信がない」と東都の名門・中央大学への進学を表明する。
大学生になった島袋は1年春、いきなり開幕投手を任された。中央大学で1年生が春の開幕投手を務めるのは実に48年振りのことだった。その年、島袋はリーグ2位となる防御率0.99を残し、新人賞を獲得。島袋の実力からすれば、それぐらいは当然のことのように思えた。