格闘技PRESSBACK NUMBER
文化系プロレス、ひとつの到達点に。
DDTが両国で見せた笑いと闘い。
posted2014/08/22 10:40
text by
橋本宗洋Norihiro Hashimoto
photograph by
Yukio Hiraku
1997年に旗揚げしたDDTプロレスリングのキャッチフレーズは“文化系プロレス”である。選手兼社長である高木三四郎の持論は「プロレスだってショービジネス」。肉体だけでなく頭脳もフル稼働させる、興奮と爆笑が渾然一体となった満足度の高い興行でファンを増やしてきた。
ゲイレスラー・男色ディーノが対戦相手の股間を執拗に狙い、客席になだれ込んで男性客の唇を奪う。リングを使わない“路上プロレス”の舞台は、高木の著書出版記念イベントとして行なわれた書店から商店街、さらにはキャンプ場、鉄工所、浅草花やしきにまで拡大。観客の投票で順位を決める“ドラマティック総選挙”で1位を獲得した選手には、団体の頂点であるKO-D無差別級タイトルへの挑戦権が与えられる。つまり試合の結果とは関係なしに、観客の評価で挑戦者が決まるわけだ。
観客を喜ばせることで「プロレスを世間に届けたい」。
強さや怖さ、超人性を前面に押し出してきた従来の日本のプロレスと比べると明らかに異端。だが高木は、どんな形であれ観客を喜ばせることで「プロレスを世間に届けたい」と言う。実際、DDTはそれまでプロレスを見てこなかった層にも響いた。2009年からは両国国技館に進出。来年2月にはさいたまスーパーアリーナ・コミュニティアリーナ大会も決定し、年2回のビッグマッチ体制となる。
8月17日に開催された今年の両国大会は、前売り段階でチケットがソールドアウトになった。当日券の販売なし、観衆は超満員札止めの9100人。それだけの人々が“文化系プロレス”を支持したのである。
年間最大のビッグマッチでも、大会に“よそいき”感はなかった。スケールは拡大していたが、根本はいつもと同じだ。いつでも、どこでも、誰でも挑戦でき、レフェリーがスリーカウントを入れさえすれば王座が移動するアイアンマンヘビーメタル級王座をかけたロイヤルランブル(選手が時間差で入場するバトルロイヤル)では、最後まで勝ち残ったゴージャス松野が試合後の乱闘でダウンしたところを特別リングアナのタレント・LiLiCoが抑え込んでタイトル移動。LiLiCoは今後、『王様のブランチ』 に出演している最中でも挑戦者を迎え撃たなければならない。それがアイアンマン王座のルールなのだ。