野ボール横丁BACK NUMBER
公立進学校が大阪桐蔭に善戦。
済々黌がいつか“佐賀北”になる日。
text by
中村計Kei Nakamura
photograph byHideki Sugiyama
posted2012/08/18 18:10
試合後、悔し涙を見せる済々黌の選手たち。熊本からやってきた大応援団は、大阪桐蔭の選手に「(済々黌の)アルプススタンドの黄色の大声援はかなりプレッシャーに感じました」と言わせるほどだった。
大番狂わせの気配――。
それは、確かにあった。
この日の第2試合は、春夏連覇をねらう優勝候補の大阪桐蔭と、18年ぶり出場の公立進学校・済々黌(熊本)の対戦だった。
試合前、済々黌の監督・池田満頼は、こう語っていた。
「力通りいけば、うちが負けると思います。でも、向こうに油断があったり、ミスが出れば、こっちにもチャンスはある。プラスαの部分で勝ちたいですね」
言葉の内容以上に、池田は落ち着き払っていたし、闘志を隠し持っているように感じられた。
'07年夏、「ミラクル」と称された佐賀北の監督に似た雰囲気。
明らかに実力差があると思われるカードの場合、格下のチームがファイティングポーズを取れているかどうかは、だいたい指揮官の雰囲気でわかるものだ。
「勝負はともかく……」といった保険をかけるような言い方をする場合は、やはり戦う前からすでに呑まれていると感じるし、結果も往々にしてそうなる。
池田が発していた空気は、2007年夏、全国制覇を果たし「ミラクル」と称された佐賀北の監督、百崎敏克の雰囲気とだぶった。
その年、佐賀北は、準々決勝で、全国制覇3回という実績を持つ帝京とぶつかった。強豪私学に公立進学校が挑むという構図は、この日と同じだった。戦前、百崎敏克はこう話していたものだ。
「うちが勝つと思っている人は誰もいないでしょう。確かに、練習試合だったら十回やったら十回負ける。でも、本番は違う」
怖れているわけでも、気負っているわけでもないその佇まいは、ひょっとしたらと思わせた。そして実際に、延長13回裏、4-3でサヨナラ勝ちを収めてしまったのだ。甲子園史に残るジャイアント・キリングだったと言っていい。
本番は違う――。
池田の心中も、同じだったに違いない。