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ある少年ファンの言葉を胸に、
辞任した高田繁監督が描く“夢”。 

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鷲田康

鷲田康Yasushi Washida

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photograph byShigeki Yamamoto

posted2010/05/31 10:30

ある少年ファンの言葉を胸に、辞任した高田繁監督が描く“夢”。<Number Web> photograph by Shigeki Yamamoto

ヤクルトの今季成績は13勝32敗1分(5/26現在)。今後は休養に入る高田監督に代わり、小川淳司ヘッドコーチが監督代行として指揮を執る

 ヤクルトの高田繁監督が、シーズン半ばにしてその職を辞した。

「監督として責任を感じている。最後にこの状況を変えるには、監督を辞めることじゃないかと思った」

 5月26日の楽天戦後の神宮球場。急きょ報道陣を集めて行なわれた辞任会見で、高田監督は静かに決断の理由を語った。

 大阪の浪商から明治大学を経て巨人に入団。攻守にスマートな外野手としてV9の一翼を担った。現役を退いてからは1985年に日本ハム監督に就任。その後は古巣巨人のヘッドコーチ、2軍監督を歴任した。

 だが、その手腕を最も発揮したのが、2005年から3年間務めた日本ハムのGM時代だった。ダルビッシュ有投手のドラフト指名や稲葉篤紀外野手のFA獲得などで、豊富な人脈を生かした数々の強化に成功。現在の“強い日本ハム”の礎を築いてきた。

次世代へ野球人生を捧げたい……高田監督の熱い思い。

「でも、僕のような年寄りにできることは、若い人に自分たちの経験を伝えること。そのためにはやっぱり自分がユニフォームを着て現場に立ちたい。そこに自分の残りの野球人生を捧げたい」

 2008年にヤクルト監督として7年ぶりに現場復帰したのも、実はそんな「次の世代」への思いがあったからだった。そして就任2年目の昨シーズンは、チームを初のクライマックス・シリーズへと導いた。

 だが、歯車はそのときからギシギシと鈍い音を立てていたのかもしれない。

 3年契約の最終年を迎える今季に向けて、チームは新外国人選手の獲得を含めて、ほとんど補強らしい補強をしなかった。そのことに不満がなかったわけではなかった。しかし、長いフロント生活から得た独特のバランス感覚で、強く現場の要求を突きつけることをしなかった。球団の資金不足も十分に承知していたこともあり、不満をあえて表に出すことはなかった。

補強無しに突入した今シーズン。打線が機能しなくなった。

 そうして突入した2010年のシーズン。開幕直後こそ好スタートを切ったものの、その後は不安視された打線が全く機能しなくなり、ズルズルと黒星を積みかさねていった。5月2日から6連敗。そして白星1つをはさんで交流戦が始まった12日からは再び連敗地獄にはまり込んだ。事ここに至って、チームは新外国人選手の獲得やコーチ人事などでてこ入れを図ったが、時すでに遅かった。

【次ページ】 球団が慰留したにもかかわらず辞任した真相とは。

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