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<“五輪から3カ月”特別連載(3)> アルペンスキー・皆川賢太郎 「現実を変えるためにもう一度」
text by
松原孝臣Takaomi Matsubara
photograph byShino Seki
posted2010/05/19 06:00
「こんにちは」
トレーニングを終えた皆川賢太郎が現れた。
5月半ば、ジムでの練習を再開して、3日ほどが経っていた。
そのひと月ほど前の4月中旬、皆川は記者会見で現役続行を表明していた。
32歳での出場となるバンクーバー五輪前には、「今回が集大成だろう」と捉える向きも少なくなかった。「バンクーバー後に引退」と誤報までが流れた。
そんな周囲の視線を覆して、皆川は現役続行を決意した。
2度にわたる大怪我などを克服して競技人生を続けてきた不屈のスキーヤーが、4度目のオリンピックを経て、思い定めるのは何か。
バンクーバーの惨敗は、いったい何が理由だったのか?
2月27日、ウイスラー・クリークサイドでスラロームは行なわれた。
雨ともみぞれともつかない雪が降り、ときにガスがコース上を覆う劣悪なコンディション。さらに1本目のコースのレイアウト自体も、個性の強い、癖のあるものだった。
「雪質もふつうと違う感じだったし、ゲートとゲートの間も通常なら10m、11mくらいのところを7mにしているとか、通常じゃないセッティングでした。他の選手たちには戸惑いがあったみたいだけれど、僕は細かいセッティングのコースは好きなので、ネガティブにとるというより、自分にとってはチャンスと思っていました」
皆川は39番目にスタート。
「最初ストレートがあって、また細かいセッティングでウエーブがある。ウエーブのところにヘアピンがあって、その出口からがかなりアスレチックな感じというか。あそこは他の選手はセーブしてくるところだろうけれど、攻めないと、タイムが出ないから」
皆川は果敢にアタックする。ヘアピンを出たところから、細かなゲートの構成が続く。
1つのミスが命取りになるからこその「80%の滑り」。
突如、皆川がコースアウトした。リズムを崩したかのようだった。
スタートしてから時間にしておよそ10秒前後だった。
10秒といっても、その重さは他の競技とは異なる。
アルペンは、ミスの許されない競技だ。球技などのように、ミスをあとから挽回することはできない。1つのミスが命取りになる。その緊張の中での1秒、1秒の重さは計り知れない。
皆川は、だからこそ「80%の滑り」を目指してきた。ただがむしゃらに勝ちたい、と臨むのではなく、練習の過程で最大限に能力をあげ、作戦を遂行する冷静さを保つ。アルペンの過酷さを知るからこそ、そう考えてきた。
にもかかわらず、オリンピックでは、いちかばちかの勝負に出ざるを得ない状況に追い込まれていた。