オリンピックへの道BACK NUMBER
クロカン世界一を目指す恩田祐一。
ソチ五輪までの活動資金が足りない!!
text by
松原孝臣Takaomi Matsubara
photograph byAFLO
posted2010/06/18 10:30
「(現在の競技水準を保つには)年間700万円は費用がかかる」と恩田祐一選手。練習とスポンサー探しを並行する日々
バンクーバー五輪が終わり4カ月が経とうとしている。現役続行を決めた選手たちは、新たなシーズンへ向けてスタートしている。すでに4年後のソチ五輪を視野に入れる選手も少なくない。
その一人に、クロスカントリースキーの恩田祐一がいる。
実家のある新潟県妙高市で、シーズン開幕へ向けてトレーニングに励んでいる。バンクーバーは、ひたすら悔いの残る大会だった。終わった直後、すぐにあと4年間やり続ける覚悟はできた。日々、その実践である。
一方で恩田は、競技人生を左右する問題に苦しめられてもいる。4年間の覚悟が無に帰する可能性もなくはない。
日本だけでなく世界的にもトップクラスの実力者。
恩田は、クロスカントリーのスプリント種目のエースとして活躍してきた。
数あるスキー種目の中でも、クロスカントリーは長い伝統を誇り、海外では人気が高い競技だ。日本におけるこの競技の地味な位置づけとはまったく異なる。そのせいか国際大会でも、日本勢は欧米勢の厚い壁に阻まれてきた。その中で恩田は、ワールドカップで2度4位に入るなどの成績を残している。とくに'07年の大会の4位は、当時としては日本選手史上最高記録であった。世界的に見ても価値は大きいのだ。
厚い壁をものともせず世界の第一線にまで上りつめることができたのは、どこまでも負けず嫌いな性格と、周囲も認めるひたむきに競技に取り組むストイックな姿勢にある。本人いわく、「勝ちたいと思っているから、やるべきことをやっているだけです」。偉大な記録は、競技者の中でも際立つ真摯さあればこその結果なのだ。
「可能性はあれしかなかった」バンクーバー五輪での苦闘。
恩田にとってバンクーバー五輪は、2度目のオリンピックであり、勝負をかけた大会でもあったが、結果はほろ苦いものだった。予選11位で決勝トーナメント進出を果たし、迎えた準々決勝は6人ひと組で走り、上位2名が準決勝へ進出できる。このレースで、恩田は、果敢に先頭に立つが終盤に失速し、結局4着に終わった。
恩田の考えていた作戦は、「平地ではおそらく苦戦する。だから上りで引き離して逃げる」というものだった。作戦通りではあったが、上りでの体力消耗は激しく、最後の平地では、余力は残っていなかった。
恩田はあらためて試合を振り返って、こう言った。
「今の自分にできることは、と考えたとき、可能性はあれしかなかったんですね」
そこには、オリンピックまでの4年間の足取りが影響していた。