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<“五輪から3カ月”特別連載(3)> アルペンスキー・皆川賢太郎 「現実を変えるためにもう一度」
text by
松原孝臣Takaomi Matsubara
photograph byShino Seki
posted2010/05/19 06:00
右膝負傷という「現実を変えてやると思って」五輪へ。
今にして知る事実がある。
皆川は'06年12月、トレーニング中に右膝前十字靱帯を損傷している。手術とリハビリを経て復帰して臨んだ今回だったが、実は膝に痛みのない日はなかったと言う。正座も屈伸もできない状態にあった。'02年3月にも、左膝前十字靭帯断裂の大怪我を負い、そこから再起しているが、それとも異なる状態だった。
「葛藤は、それはもう、相当ありましたよ。こんなにスキーが面白くなく感じたのは初めてだったんですよね。膝の痛みが消える日なんてないし、膝が使いづらいし。夏まではテクニック的なところで順調に行っていたのに、そこから成長しない半年を過ごしたことにすごい苛立ちもあったし。するとなんで靭帯を切ったんだとかも考えるんですよね。そういう意味ではほんと、いろいろ毎日ありましたよね」
シーズン中の成績も低迷した。
それでも、いっさい膝の状態を表に出すことはなく、毅然とした姿勢を貫いていた。
「言葉って言霊だから、自分の中で思っていたとしても口に出していくと、どんどんそういうふうになっていくというか、脳裏に植えつくじゃないですか。そうするとやっていけないと思うんですよ。それに、同情されたいとも思わないし、気合は相当入ってますからね。現実を変えてやると思っているから。だから精神力で乗り切ったようなもんですよね」
自己の限界を超えるためにはギャンブルするしかなかった。
しかし、成績が上がらなかった結果、ランキングも上がらず、オリンピックでのスラロームのスタート順は39番目となった。滑れば滑るだけコースは荒れていく。第1シードに入らなければ不利になるこの競技では、苦しい順番だ。
だが皆川に諦めはなかった。トリノ五輪では、日本選手50年ぶりとなる4位入賞の快挙を成し遂げている。バンクーバーで目指すものは、さらに上の順位しかなかった。
だから不利な順番でも、自身の可能性を信じて、いちかばちかと言ってよい滑りに挑んだ。リスクを背負って、可能性を切り拓くためにあえて、勝負に出た。
やむを得ない、唯一の選択だった。しかし今、皆川はこう振り返る。
「終わってみて気づくことは、やっぱりものごとって一発狙って何かしようというのは、人間にとって本当に良くないんだなということです。ちゃんと準備しないと、ギャンブルのようなレースをしてしまう。僕はそれを避けたいから、これまでそういう準備をしてきたんですけどね。
だけど間に合わなければそういう勝負をしなければならなくなる。自分の記録を超えてみたいとしか頭になかったので、一発に賭けちゃうというのを選ばざるを得なかったんです」