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<“五輪から3カ月”特別連載(2)> クロスカントリー・夏見円 「自分らしくスタートに立つ!」
text by
松原孝臣Takaomi Matsubara
photograph byShino Seki
posted2010/05/18 06:00
レース後、周囲が「大丈夫か」と心配するほど、消耗した表情で涙を流していたのは2月のこと。そして、4月の札幌市内。
現れたクロスカントリーの夏見円は、バンクーバー五輪をひとことでこう表した。
「うーん、いまいちでしたね」
そして、大会を振り返り始めた。
3度目のオリンピックは、満足のいかない成績に終わった。
その一方で、ようやく光の見えた大会でもあった。
先駆者。
スプリント競技で活躍する夏見は、しばしば、そう呼ばれることがあった。
2度目のオリンピック出場の2006年トリノ五輪では、チームスプリントで日本のクロスカントリー史上初となる8位入賞。
'07年札幌世界選手権ではスプリントで5位。オリンピック、世界選手権を通じ、やはり史上最高の成績だった。
そして'08年2月、スウェーデン・ストックホルムのワールドカップで快挙を成し遂げる。3位となったのだ。むろん、日本選手として初めてのことだ。
夏見は、日本のクロスカントリーのスプリントの位置を引き上げてきた第一人者である。
体調不良を克服し、上向き調子で3度目の五輪に挑んだ。
国際大会で実績を積み上げて臨む3度目のオリンピック、バンクーバー五輪は、注目と期待を集めて臨む大会となった。
夏見自身も同じだった。だから、こう口にしてきた。
「メダルを獲りたいです」
抱負を口にしつつも、五輪シーズンを迎えるにあたり、実は苦しみ続けていた。'08-'09年のシーズンから、体調不良に悩まされていたのだ。練習はうまくいっても、試合前になると、なぜか熱を発するなど体調を崩すことが毎回続いた。ワールドカップで一桁の順位を記録したのは一度だけに終わった。
体調不良は五輪シーズンになっても続き、成績はさらに下降していた。本来の走りには程遠かった。
オリンピックは近づいてくる。
年が明けると、ふいに、体調の回復のきざしを感じた。
「昨年末に海外遠征から帰ってきたあと、あまり練習をしなかったのですが、休んだからなのか、1年経ってようやく解決したのか、理由はよく分からないけれど体の疲れがふっと抜けて。ああ、やっと戻ってきたなって」
練習でも調子が上がったのは実感できた。自分自身に手ごたえを得て、いよいよオリンピックが開幕する。