青春GOLF ――石川遼に密着! BACK NUMBER
度重なるヘアチェンジに見る、
石川遼ならではの遊び心。
text by
雨宮圭吾Keigo Amemiya
photograph byNIKKAN SPORTS/AFLO
posted2011/08/04 10:30
7月28日から北海道・小樽カントリー倶楽部で行われたサン・クロレラクラシックで新しい髪型を披露。大会は122位で今季3度目の予選落ちとなった
スポンサーの縛りがないヘアスタイルで自分らしさを。
プロゴルファーの枠を超えてこれだけ存在が大きくなってしまうと、身なりや言動を含めて窮屈さを感じることは多いだろう。見返りとして多くのものを得ているのだから文句ばかりは言えないが、そうした状況においてヘアスタイルというのは数少ないフリーハンドで遊べる領域なのである。
たとえばジュニア時代は楽しみのひとつにウエアのコーディネートもあった。
あれとこれを合わせて、やっぱりこっちの方が合うかなと考えを巡らせる。ツアーでも迷彩柄のカーゴパンツをはいたり、大阪のおばちゃん顔負けのヒョウ柄シャツで登場したこともあった。
しかし、プロになってスポンサー契約を結べば、そう自由にはいかない。
身につけるのは契約メーカーのウエアやアクセサリになり、いたるところにスポンサーロゴも入る。
用具契約を結ぶヨネックスは石川の要求に応じて最大限のサポートをしているが、ジュニア時代に比べればバリエーションと機動力にはどうしても限界がある。
ヘアスタイルならそうした縛りは何もない。
アマチュア時代から発揮していたヘアスタイルの“遊び心”。
しかも、石川には「いつも皆さんにアッと驚いてもらえる髪型を目指す」といたずらっぽく笑うような一面がある。
小学5年生の時の話だ。2002年、サッカーW杯に沸き立つ日本では、ベッカムヘアと呼ばれるソフトモヒカンがちょっとしたブームになっていた。石川少年もこの流行りのヘアスタイルに当たり前のように食いついた。
ジェルをつけてベッカム風に髪を立たせ、何食わぬ顔で朝礼に出席。案の定、先生からはお叱りの言葉が待っていた。気張ってつけたジェルは水道水で洗い流され、水滴がむなしく髪の毛からしたたり落ちた。
アシンメトリーもタレントの上地雄輔らの影響から、アマチュア時代にはすでに取り入れていた。それほど目立っていなかったのは「特殊カットを禁止する」という校則に抵触しない程度に抑えていたからだ。