Column from EnglandBACK NUMBER
CLの敗戦とロナウド移籍の暗喩。
~ファーガソンはヒディンクを目指す?~
text by
田邊雅之Masayuki Tanabe
photograph byMan Utd via Getty Images
posted2009/06/13 06:00
「ロナウド、レアルへの移籍が事実上決定」
欧州発の外電に世界が揺れている。8000万ポンド(130億円)の値札もさりながら、マンU攻撃陣の軸にして「7番」を背負うスターが、銀河系への鞍替えをあっさりと認められたのは驚きだった。
「あんな輩と取引すると思うのか? 連中にはウィスルでさえ売るつもりはない」
半年前、アレックス・ファーガソンはクラブW杯の舞台・横浜で断言した。だが赤い悪魔の消息筋は、決断したのは「サー」の称号を持つ監督に他ならないと証言する。
いったい何が、彼に翻意を促したのか。そもそも翻意ですらあったのか。真相は当事者にしか知りえないが、隠された十字架(文脈)に思いを巡らすことはできる。
そこで一つの手がかりとなるのが「ローマ」だ。
ファーガソンはヒディンクの戦術を踏襲すべきだったのか?
「ローマ(CL決勝)」はイングランドに影を落とした。
マンUの優位が噂されていただけに、バルサに0-2で敗れたショックは大きかったとみえ、メディアは敗因の分析とエクスキューズに余念がない。ファンもブログやホームページで、思い思いに寸評を綴っている。
しかし立場や持論はちがっても、共通する認識はあるようだ。それは「史上まれに見る好カードと謳われた割には、試合はさほど盛り上がらなかった」という意見である。
02-03シーズンのミラン対ユベントスは別として、同点や1点差ならスリリングな雰囲気は最後まで保たれる。逆に3-0にでもなればなったで、勝ち名乗りを挙げたチームの強さを実感できる。チャンピオンズリーグが成立した92年以降、決勝が2-0という「微妙」なスコアで幕引きしたのは、今回が初めてだった。
くすぶり続ける欲求不満は、「準決勝のチェルシー対バルサ戦の方がはるかに見応えがあった」という結論を導く。熱戦を期待した無党派のファンと、臍(ほぞ)をかんだマンUのファンが「ファーガソンはヒディンクの戦術を踏襲すべきだったのではないか」と口を揃えたのは、きわめて自然な流れだった。
フィジカル重視のイングランドは「クソのようなサッカー」!?
守備を固めてカウンター狙いに終始していれば、たしかに展開は変わっていただろう。肩透かしも多少なりと緩和されたかもしれない。
だが試合がもっと熱を帯び、さらにうまく運べばタイトルを保持していたとしても、ファーガソンに手放しで喜べる状況が訪れたとは考え難い。またぞろプレミアのチームが力業に頼り、不毛なゲームをしたと糾弾されるのは目に見えている。
プレミアも含めたイングランドのサッカーは、パワーとスピード、フィジカルの強さとダイナミズムには満ちていても、テクニックのレベルは高くないと揶揄されてきた。
「フィスカル(財政面)の強さ」も武器にプレミア勢が台頭し、なおかつ勝負に徹した戦法でCL上位を独占するにつれ、大陸側の舌鋒は鋭さを増すこととなった。
たとえばレアル・マドリーのディレクターを務めるホルヘ・バルダーノは、06-07シーズンのCL準決勝、リバプール対チェルシー戦を次のように酷評している。
「狂ったように盛り上がっているスタジアムの真ん中で、クソのようなサッカーをする。そして、それを芸術だなどと呼ぶ人々がいる。チェルシーとリバプールは、(現在の)サッカーが向かっている方向を最もはっきりと、誇張された形で示している。非常にテンションが高く、組織的で、戦術的で、フィジカルで、ダイレクトなサッカーだ。サッカーがチェルシーやリバプールが志向しているような方向に進んでいくのなら、クレバーなプレーや才能といったものに別れを告げる準備をした方がいい」