熱狂とカオス!魅惑の南米直送便BACK NUMBER
「納豆…最初ムリだった」ブラジル人がJリーグ最強FWになるまで「焼肉やラーメン好きに」「オカダさんとオシム、鹿島ではウチダが素晴らしかった」
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沢田啓明Hiroaki Sawada
photograph byToshiya Kondo
posted2025/04/18 17:01

鹿島アントラーズ時代のマルキーニョス。得点王、リーグ連覇など黄金時代の原動力となった
「君のイメージ通りさ。とてもワガママな奴だった(笑)」
――シーズン終了後、あなたはコリチーバからヴェルディへ完全移籍します。
「残留させるミッションを終え、ブラジルへ帰国した。するとサンパウロのビッグクラブ4つすべてからオファーを受けた。まずは国内で目立った活躍をして欧州のクラブへ移籍し、セレソンに招集されるのが目標だった。
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ところが、ヴェルディから完全移籍のオファーが舞い込んだ。僕は日本での生活に馴染めていなかったから、最初は気が進まなかった。でも、かなりの好条件。散々迷った挙句、オファーを承諾した」
オカダさんは監督、人間としても素晴らしかった
――今度こそ、日本での生活に順応出来ましたか?
「最初は、やはり大変だった。でも、チームメイトと交流するうち、少しずつ日本語を覚えた。一人で外出して買い物ができるようになり、日本食も焼肉、すき焼き、ラーメンなどが好きになった。納豆なんて最初は全く無理だったが、次第に食べられるようになった」
――ただし2002年は15試合に出場して2得点。9月初めに足の付け根を痛めて以降はプレーできなかった。
「原因は練習のやり過ぎ。相変わらずチーム練習の後に長時間、個人練習をしていたので疲労がたまっていたんだ」
――そして2003年、横浜F・マリノスへ1年間、期限付き移籍します。
「ヴェルディが他の外国人FW(注:エムボマ)を獲得することになり、居場所がなくなった。悔しかったけれど、自分ではどうしようもなかった」
――しかし、この移籍が吉と出ます。岡田武史監督率いるマリノスは、Jリーグを制覇。あなたにとって、キャリア初のタイトルでした。
「オカダさんは、監督としても人間としても素晴らしい人だった。『守備で最低限の役割を果たしてくれたら、攻撃では自由にプレーしていい』、『自分の特長を存分に発揮してくれ』と言ってくれた。ナカザワ(中澤佑二)もマツダ(松田直樹)も、敵に回すと非常に厄介なDFだった。彼らとチームメイトで、本当に良かった(笑)」
オシムから託されたタスク、そしてケンタさんも
――ただし、2004年、今度はジェフ千葉へ貸し出されます。
「ここでも韓国人選手(アン・ジョンファン)に押し出されてしまった」
――ジェフでは、イビチャ・オシム監督の指導を受けた。日本のサッカーファンから愛された名将ですが、ブラジル人のあなたはどんな印象を受けましたか?