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「納豆…最初ムリだった」ブラジル人がJリーグ最強FWになるまで「焼肉やラーメン好きに」「オカダさんとオシム、鹿島ではウチダが素晴らしかった」 

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沢田啓明

沢田啓明Hiroaki Sawada

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photograph byToshiya Kondo

posted2025/04/18 17:01

「納豆…最初ムリだった」ブラジル人がJリーグ最強FWになるまで「焼肉やラーメン好きに」「オカダさんとオシム、鹿島ではウチダが素晴らしかった」<Number Web> photograph by Toshiya Kondo

鹿島アントラーズ時代のマルキーニョス。得点王、リーグ連覇など黄金時代の原動力となった

「彼も素晴らしい監督だった。チーム戦術は1対1の守備が基本で、僕もボランチかCBをマークするよう命じられた。でも、それはハーフウェイラインまで。『守備は重要だが、攻撃するエネルギーも残しておいてくれ』と言ってくれた。だが9月末、僕のキャリアで最も重大な故障を負った(左足アキレス腱断裂)。日本で手術をした後、ブラジルへ戻って治療を行なった」

――この年末、ヴェルディとの契約が満了。2005年8月、清水エスパルスに入団します。

「アキレス腱の故障が完治した頃、清水からオファーを受けた。ケンタさん(長谷川健太)が僕のプレーを気に入ってくれたと聞いた。チームの成績は良くなかったが、僕自身は故障の影響もなく、良いプレーができた。2006年も好調で、チームの成績も上向いた」

鹿島は…オズワルド監督に誘われたんだ

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――そして2007年、鹿島アントラーズへ移籍します。

「オズワルド・オリヴェイラ監督に誘われたんだ。鹿島はジーコが土台を作ったクラブだけあって、勝者のメンタリティーが叩き込まれていた。日本人選手のレベルも高かった」

――この年、鹿島は最初の5試合で3分2敗と大きく躓いたが、その後、次第に盛り返した。

「勝てない試合が続くと、ほとんどの監督は戦術を変える。だがオズワルドは『我々のやり方は間違っていない』 と言い続け、全員攻撃、全員守備、素早い攻守の切り替えを変えなかった。その後、連係が高まって結果が付いてきた」

――終盤、首位に立つ浦和レッズやガンバ大阪と激しい優勝争いを繰り広げた。特に記憶に残っている試合は?

「アウェーの浦和戦(第33節)だね。埼玉スタジアムで敵の6万人以上のサポーターが凄まじい応援をするのは間違いなかった。そこで試合前、オズワルドは我々選手たちに浦和サポーターの声援の録音を大音響で聞かせて、慣れさせようとした。試合は退場者が出て難しい展開だったが、選手の頑張りと監督の的確な選手交代で貴重な勝利を手にした」

――それでも、鹿島は勝ち点1差で2位のまま。優勝するためには、最終節でホームで清水を下し、なおかつ浦和の試合の結果(対横浜FC)が引き分け以下である必要があった。

「清水を3-0で倒した後、我々はピッチに残って大型ビジョンで浦和戦のラスト数分を見ていた。浦和が敗れて優勝が決まった瞬間、爆発的な喜びが湧き上がり、誰彼となく抱き合って喜んだ。あの嬉しさは、一生忘れない」

ウチダは当時19歳だったが根性もあった

――この年、高卒2年目で19歳だった右SB内田篤人と一緒にプレーしました。彼の印象は?

【次ページ】 19歳ウチダは根性が…“戦力外通告”はショックだった

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