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「イチローに簡単に打たれて…」巨人初“逆指名ドラ1”選手が直面したプロのリアル…「越えられない壁があるんだな」30歳で引退→意外なその後は?
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田口元義Genki Taguchi
photograph byGenki Taguchi
posted2025/04/07 11:03

1993年のドラフト会議で巨人初の「逆指名1位」となった三野勝大だが、巨人での一軍登板は1試合に終わる。引退後、53歳になった意外な現在は?
「『絶対に抑えてやる』って頑張って投げましたよ。緊張しながらも、来年に繋がると思って必死こいて投げましたよね」
必死こいて――このフレーズが三野の危機感を表している。4年目の97年にはすでに戦力外が常に隣り合わせだった。
史上初の「巨人逆指名ドラ1」…重荷だった?
巨人を逆指名したドラフト1位。
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なかなか浮上できずにいる実績と呼吸を合わせるかのように、そのブランド力も薄れてくる。いや、そもそも三野からすればそれは、重荷でもなんでもなかったのだそうだ。
「プレッシャーはありましたけど、それは『いつクビを切られるかわからない』という気持ちであって、ドラフト1位で入ったことに関してはずっとありがたいと思っていました。僕はそんなに注目されて入ったわけではなかったし、結果も出していない選手だったんでたいしたことなかったですし」
プロで名声を得るためには、実力と同じくらいに運も必要だとよく論じられる。愚直なまでにストレートの速さを追い求めてきた三野からすれば、どちらかと言えば後者に見放されてしまったのかもしれない。
97年の一軍登板から望みを繋げた98年。二軍の試合で打球が三野を襲い、直撃した右手首を骨折した。全治2カ月。手術をせず、保存治療で回復させたが違和感は残った。
「骨折したから結果を出せなかったわけではないです。僕くらいのボールを投げるピッチャーは、プロにはざらにいますから。たいしたことなかっただけです」
また「たいしたことない」と自分を落とし、言い訳を封じる。巨人初の「逆指名ドラ1」は、1999年のシーズン途中に金銭トレードで横浜(現DeNA)へと移籍した。
生き残るため、あれだけこだわっていたスピードを封印し、サイドスローに転向した。だが、本人いわく「イマイチだった」だけに新天地でも活路を見出すことはできず、横浜3年目の01年に戦力外通告を受けた。
「野球を続けるには厳しい年だよな」
この時30歳だった三野は、潔くユニフォームを脱いだ。
人の身体をケアする仕事をセカンドキャリアに選んだのは、治療院に通っていた大学時代から興味があったからだ。