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「イチローに簡単に打たれて…」巨人初“逆指名ドラ1”選手が直面したプロのリアル…「越えられない壁があるんだな」30歳で引退→意外なその後は?
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田口元義Genki Taguchi
photograph byGenki Taguchi
posted2025/04/07 11:03
1993年のドラフト会議で巨人初の「逆指名1位」となった三野勝大だが、巨人での一軍登板は1試合に終わる。引退後、53歳になった意外な現在は?
プロ野球を引退した翌年から専門学校に通い、柔道整復師の国家資格を取得した。その後、整形外科のあるクリニックで働き、専門学校の講師も務めた。東京都日野市で治療院を開業してから、もう9年が経つ。
「住所が変わりましたか?」
引退後も変更していない携帯電話の番号に見慣れない着信があり受け取ると、巨人からそのような問い合わせがあった。「郵送したいものがある」と言われて以来、<巨人軍ニュース>の封書が定期的に送られてくる。
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巨人との繋がりは、今も続く。
「たまには顔出せよ」
二軍暮らしが長かった現役時代。面倒を見てくれたキャッチャーの先輩で、今は球団で要職に就く高見昌宏からも連絡があり、数年前から二軍の試合でマッサージ体験の仕事を依頼されるようにもなった。
「今年は仕事が忙しくて断ってしまったんですけどね。そうやって高見さんが声を掛けてくださったり、球団も気にかけてくれたりね。僕みたいな人間とも繋がりを保とうとしてくれるのがすごいですよね、巨人って」
「広島か近鉄を選んでいたら…」の想いは?
染みついたように「僕みたいな」と卑下しながら巨人に感謝を示す三野に、おそらくは否定するだろうと思いながらも聞いた。
――現役時代はもちろん、引退してからでもいいんですが、「広島か近鉄を逆指名していたらどうなっていたんだろう?」と思うことはありませんでしたか?
「そういうのはないです。全くないです」
やはり、そうだった。
「『巨人を逆指名させていただいて、ありがとうございます』という気持ちだけですね。実力がなかったんで、結局はどこへ行っても活躍できなかっただろうし。あとは申し訳なさですかね。入団する時にゴタゴタがあったんで、東北福祉大の伊藤(義博)監督とか巨人の方たちに『活躍できなくてすみません』っていう気持ちもありましたかね」
三野が切り盛りする治療院の扉を開けると、右側の壁に写真が飾られてある。
当時の監督である長嶋茂雄とのツーショット。入団会見で撮られたものである。
「もう、色褪せちゃって。お客さんは誰も気づいてくれませんよね。自分からわざわざアピールするのもかっこ悪いんで、気づいてもらわなくていいんですけど」
三野が恥ずかしげに強調する。
逆指名で巨人に入り、プレーできた幸福感。その写真が、全てを物語っていた。


