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「イチローに簡単に打たれて…」巨人初“逆指名ドラ1”選手が直面したプロのリアル…「越えられない壁があるんだな」30歳で引退→意外なその後は?
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田口元義Genki Taguchi
photograph byGenki Taguchi
posted2025/04/07 11:03
1993年のドラフト会議で巨人初の「逆指名1位」となった三野勝大だが、巨人での一軍登板は1試合に終わる。引退後、53歳になった意外な現在は?
巨人から「次代を担うピッチャー」と評価され、逆指名選手「第1号」となった三野の1年目は、一軍登板がなかった。二軍でも17試合に投げ1勝7敗、防御率7.41だった。
三野はプロの「壁」を痛感したと振り返る。
「入ったときは『越えられる』と思ってやっていたんですけど、越えられない壁があるんだなと、実感しましたね。一軍と二軍の間の壁は、なかなか高いものがありました」
「イチローから簡単にヒットを打たれて…」
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覚えているのは2年目のオープン戦だ。
三野は前年に“振り子打法”でブレークを果たして当時のシーズン最多安打記録を塗り替えた、オリックスの若きヒットメーカーの名を挙げながら「壁」の高さをしみじみ語る。
「イチローから簡単にライト前にヒットを打たれて。バットに当てるのが本当にうまいな、と思いました。少しでも狙ったコースからズレると、二軍では抑えられていても一軍のレギュラークラスは必ず打ってくるんですよね」
そう回想するように、三野は当時から自分に足りないものを理解していた。
第一にコントロール。さらに空振りを取れる変化球も持ち合わせていなかった。メインの球種はスライダーのみで、球速帯を変えることでバッターのタイミングをずらしていた。フォークボールも持っていたが、落差をつけるまで磨くことができなかったという。
これ以上に三野がこだわったのがストレートの球威である。140キロ台後半のボールを「もっと速くしたい」と、腕の位置を変えるなど毎年のようにピッチングフォームを微調整はしたが大きな改善には至らなかった。
試行錯誤の沼に両足が浸かっていた三野が、一軍でのチャンスを掴んだのは4年目である。
シーズン最終戦のヤクルト戦。6回に3番手としてマウンドに上がった三野は、池山隆寛を三振、ジム・テータムをショートゴロ、稲葉篤紀を三振と、相手の主力バッターを3者凡退に打ち取った。
「消化試合だったと思うんで、相手も無茶しなかったんじゃないですか」
今の三野はそう卑下しながらも、当時は一軍デビュー戦の意味を噛みしめていた。

