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「関係者にも極秘…辛かった」タイガー・クイーンだった女子プロレスラーの告白…マスクを脱ぎ、正体を明かしたVENYの思い「機会があれば、いつかまた」
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橋本宗洋Norihiro Hashimoto
photograph byNorihiro Hashimoto
posted2025/03/27 17:28

3月13日のストロングスタイルプロレス後楽園ホール大会、タイガー・クイーンはマスクを脱ぎ、活動終了を報告した
VENYは手にマスクを持って取材陣の前に現れた
手にマスクを持ってインタビュースペースに登場した元タイガー・クイーン=VENY。こんな言葉からコメントを始めた。
「VENYとしてのテンションとクイーンとしてのテンションが全然違うから、どうすればいいのかなって感じなんですけど」
そこからクイーンとしての時間を振り返る。
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「タイガー・クイーンとして活動できた3年半というのは本当に実り多きもので。佐山先生からの直伝の教え、ジャガーさんの教え。いつも隣に寄り添ってくださった日高(郁人)コーチ。たくさんの人たちに感謝してもしきれないです。これからはクイーンとしての活動をVENYとして活かしていきたいと思います」
タイガー・クイーンを世に出すにあたって、ジャガーだけでなく佐山もたびたび直接指導。また1972年生まれ、初代タイガー直撃世代のベテラン選手である日高も、VENYにタイガーマスクとしての動き、テクニックを伝えていった。
「佐山先生が初めてちゃんとした形で(タイガーマスク後継者の)指導をして。その時は当たり前のようでしたけど、いま思えば凄いことだったなと」
そう語るのは、SSPW代表の平井丈雅。活動終了については、こんな言葉で表現していた。
「プロレスラーには始まりがあれば終わりもある。ここまでやってきて“次のステップに”という思いが出てきたんだろうと思います」
「(正体は)関係者にも極秘。けっこう辛かった」
もちろん、重圧も大きかった。日本プロレス史でも最高レベルの人気選手かつ特異な才能の持ち主、その仮面とイメージを受け継ごうというのだ。
「目標とする方が本当に偉大すぎて」とVENY。相手との間合いを取るステップからローリング・ソバットなど初代タイガーの動きには圧倒的な個性、記名性がある。それらを“コピー”するだけでなく自分のものにし、なおかつVENYとしての動きは封印しなければいけなかった。
あくまで“正体不明”の覆面レスラーであることを貫いてもいた。そのためには試合中、声を出すこともできない。レスラーとしての“表現”が限定されるわけだ。
活動初期はコメントもしない(後に会見や試合後に一言だけということはあった)。試合を終えリングを降りると、関係者にガードされながらエレベーターに直行する。試合前もそうだった。