箱根駅伝PRESSBACK NUMBER
“前年最下位の寄せ集めチーム”が、なぜ箱根駅伝で4位に?「伝説の学連選抜」の真実…無名時代の原晋監督が問いかけた「君たちはどうしたいんだ」
posted2025/01/23 11:40
text by
小堀隆司Takashi Kohori
photograph by
Number Web
「当時はまだ無名だった」原晋監督のチーム作り
もしかすると、池井戸潤さんも、堂場瞬一さんも、箱根駅伝を題材にした小説を書いた際には、あのチームのことが念頭にあったのかもしれない。
2008年の学連選抜チーム。名もなき監督と、名もなき選手たちが紡ぎ上げたストーリーは、まさしくドラマチックで痛快だった。過去最高でも16位相当止まり(初めてチームが結成された2003年の記録だが、この時はまだオープン参加の扱いだった)。前年度は最下位に終わっていた学連チームが、この年は4位と大躍進。一時は優勝する駒澤大に追いつこうかという気概を見せたのだ。
学連選抜のメンバーである16名は、箱根駅伝出場を逃した大学の中から、予選会の個人成績順に選ばれる。この年は古豪の明治大が出場を逃し、予選会で個人12位と好走した東野賢治(3年)らが選出されていた。監督を務めるのは、次点の10位で予選会を敗退した青学大の原晋氏。今や大学駅伝界屈指の名将として知られるが、この頃はまだ青学大を率いて4年目のニューフェイスだった。
ADVERTISEMENT
物語は、2007年11月10日の合同練習会から始まる。この日、初めて顔を合わせたメンバーが、まずは原監督の話に耳を傾けた。そこでどんな話が語られたのか。
佐藤雄治(現・中央発條陸上部監督)は当時のことをよく覚えていた。
「あくまで僕の記憶ですけど、原さんはその時、シードを取りたいとか、入賞したいとか、自分からは一切口にしなかったんです。それよりも『せっかく得たこのチャンスを君たちはどうしたいんだ』って。そんな問いかけから始まったのがすごく印象的でしたね」