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“前年最下位の寄せ集めチーム”が、なぜ箱根駅伝で4位に?「伝説の学連選抜」の真実…無名時代の原晋監督が問いかけた「君たちはどうしたいんだ」
text by
小堀隆司Takashi Kohori
photograph byNumber Web
posted2025/01/23 11:40
2008年の箱根駅伝で総合4位に入った関東学連選抜チーム。平成国際大学の3年生だった佐藤雄治さんは6区で区間2位の快走を見せた
「残された切符は6枚」チーム内での激しい競争
この年は、学連選抜チームの成績が公式に認められていて、もし本戦で10位以内に入れば、翌年の予選会出場枠が1つ増える仕組みだった。母校の後輩たちのチャンスを広げたい。それも大きなモチベーションになっていたことだろう。
わずか数週間前には、予選会の会場で悲しみに打ちひしがれた選手たちだったが、この話し合いを経て気持ちの切り替えと意思統一が図れたようだ。目標が「3位」に決まると、自ずとチームとしての一体感が出てきた。
佐藤がこう振り返る。
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「キャプテンの久野さんもそうですし、山口祥太さん(國學院大・4年)もすごく牽引してくれました。それこそ横田さんはムードメーカーでしたね。先輩たちに気持ちの良い人が多かったからか、学年関係なくコミュニケーションが取れていました。仕事でも何でも、この人たちとやりたいって思えるとうまく行くと思うんですけど、そんな雰囲気が作り出せていましたね」
練習会では、原監督からこんな説明もあった。11月中にもう一度行われる練習会、そして学連主催の10000m記録会、最後に12月上旬に予定している千葉での合宿の走りをすべて見て、最終的な選手選考を行うと。16名の中で、箱根を走れるのは10名のみ。大舞台に立つにはまず、チーム内の競争に勝ち抜く必要があったのだ。
当時、選手たちの中で一目置かれていたのが山口と、明治大のエース格である東野、石川卓哉(2年)の3人だった。彼らは10000mの自己ベストが28分台(今なら27分台ランナーに喩えられるだろうか)で、山口にいたってはその年の関東インカレで同種目の優勝を果たしていた。加えて、主将の久野も前回の箱根で学連選抜の一員として2区を走った実力者。彼らを除くと、箱根路の切符はわずか6枚しか残されていなかった。
この少ないチャンスに、並々ならぬ闘志を燃やしていた選手がいる。
その一人が、立教大の中村嘉孝(3年)である。
<続く>