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「ショックで動けなかった」立教大エースが“まさかの落選”…箱根駅伝4位「伝説の学連選抜」選手たちの執念「就活中に電話が…原晋監督からでした」
posted2025/01/23 11:41
text by
小堀隆司Takashi Kohori
photograph by
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長く襷が途絶えていた“立教大のエース”の覚悟
立教大の練習環境は当時、強豪校のものとは大きく違っていた。走るのは土のグラウンドで、選手寮もなければコーチもいない。そもそも長距離部員が12名ほどしかおらず、予選会に出場するのもギリギリという状況だった。すでに40年近く襷が途絶えていた古豪の一つで、チームとしての本戦復帰は厳しい。それゆえに、中村嘉孝(現・立教大陸上競技部女子駅伝監督)が学連選抜のメンバー16名に選ばれた時の反響はすさまじかったという。
「途絶えていた期間が長いので、70代とか80代のOBが応援してくれるんですよ。その内に幟や横断幕が大学構内にかかり始めて、もう自分が出たいというよりも、この方たちのためにも箱根には出なきゃいけないんだって、そう思いましたね」
中村が立教大の陸上部に入ったのは、2年上の先輩に誘われたからだ。高校では3年春のトラックシーズンで陸上部を引退し、大学で競技を続けるつもりもなかったが、この自主的で自由な環境なら楽しく成長ができると思えた。授業との兼ね合いもあって朝練はせず、練習は日中と夜練が中心。普通の学生と同じようにカラオケ店でアルバイトをしていたという。強かった先輩が卒業したため、この時点で頭一つ抜けた存在だった。
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「だから、学連の最初の練習が衝撃でしたね。3000m走だったと思うんですけど、強豪校の選手っていきなりペースを上げるんです。設定のタイムを大幅に破って突っ込んじゃって、見事に置いて行かれました。選考を兼ねているから、置いて行かれるとまずいんですけど、こんな練習をみんなは毎日やっているんだなって……」
激しく競り合う練習にカルチャーショックを受けながら、中村は必死に練習に食らいついた。大きな選考ポイントである10000mの記録会では、自己ベストをなんと45秒も更新(立教大記録を更新する29分29秒68)してみせる。あとは合宿をうまく乗り越えるだけ。中村は手応えを掴んでいた。